無限教誕生の瞬間

お腹痛い
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@loren2hart

さて、今日は「無限」の話をしようか。

2011-12-19 11:14:18
@loren2hart

先日の夜だが、我が家に某宗教信者が宿泊した。無論、俺たち3人は無神論者もいいところで、宗教なんて信じたとしても、そりゃあ、パスタファリアニズムとかその程度のオチャラケた認識だ。しかしながら、それゆえに、一度、「宗教の教義」という力にも理解を深めるべきではないか、そう考えたんだ。

2011-12-19 13:15:41
@loren2hart

我々は、いつも寝る前に、くだらぬよもや話を一頻りしてゲラゲラ笑ってから、ハッピーな気持ちで寝るのが習慣なのだ。昨晩は、なんだったか、ええと、そうだ。マン毛の話だ。久々の訪問客であった彼に「濃い顔が好きなのは知っているけれど、では、マン毛は濃い方がいいのかい?」と質問を投げかけた。

2011-12-19 13:17:48
@loren2hart

「いやいや、それは濃いよりは薄い方がいいです」「それは温水洋一ぐらい薄くてもかい」「はい、鶴瓶ほどに薄くてもです」「では、お前はウスマン好きだといえるな」始まった。ここからは猛攻である。「君はさ、そんなにウスマンが好きならウスマンジャパンでも作ったらいいんじゃないかい」

2011-12-19 13:18:42
@loren2hart

「このウスマン好きめ。」「濃い顔好きのくせにウスマンが好きなんていやらしいやつめ」「濃い顔の薄マン好きめ」もう止まらない。「ウスマン帝国の帝王め」「ウスマニスタンに住んだらどう?」「いいや、ウスマニアだろう」「このウスマヌ毛」痴れものたちの夜のウスマン祭りは一時間は続いた。

2011-12-19 13:19:13
@loren2hart

その後、それは、乳輪がおおきいのとちいさいのとではどうか、という質問に「小さいのを」と答えたのに食い気味で「では、小輪寺拳法を開道せよ」といったあたりで、一呼吸付いたのであった。

2011-12-19 13:19:47
@loren2hart

さて、長い枕をもって、いよいよ意を決し、我々は獅子の尻尾をふみつけにかかった。「なあ、今晩だけ、僕たちを宗教勧誘する権利を君にあげよう」「君の信じる教義を我々に教え給え」「ともすれば、僕たちにイワシほどの信仰心も芽生えるかもしれない」「とはいえ、それは、とても難しいだろうけどね」

2011-12-19 13:21:03
@loren2hart

幸福の科学において、この世は、「仮の世・浮世」と認識される。我々は本来、「創造主」さまに創られ給うし「魂」として「天上界」に存在する。天上界は、万能の地である。そこにおいて、無限の時間のなかで魂は生き、すべての願いは叶い、すべての知が我々にもたらされている。

2011-12-19 13:21:43
@loren2hart

仮の世の哲学者たちが述べたように自由で平等で自愛に満ちた魂は、本来的には、より「善」たる行い(=創造主の道徳観)を志向し、魂をみがき、己もまた、高次の神、ゆくゆくは創造主とならんと欲し、切磋琢磨するのである。

2011-12-19 13:22:30
@loren2hart

しかしながら、(これは日本に住む我々には痛ましくも、とても分かりよいことだが)万能の知においては、魂を磨くことは容易なことではない。なぜなら、暮らし向きのよい場では努力の価値は相対的に低下するからであり、また、無限の時間の中では、「ひととき」の価値というものが看過されてしまう。

2011-12-19 13:22:50
@loren2hart

そして、なにより、ちょっと暇なのだ。(聞いてみると、創造主が我々をつくったのは、さびしかったし、暇だからなのだ!)

2011-12-19 13:23:04
@loren2hart

しかしながら、すべての魂がいずれ、創造主となり、また、己の魂を切り分け、新たなる魂を生むサイクルでもって、善の総量増を指向することは功利主義の単純加算主義がのようでもあり、批判的観点からの考察が待たれる。

2011-12-19 13:24:57
@loren2hart

また、創造主の思想に近づくことが正義だとすることからは、バーリンのthe two concepts of liberty(In Isaiah Berlin 1969)における積極的自由の批判も想起されよう。

2011-12-19 13:25:36
@loren2hart

つまり、「正しいあり方」という根拠のもとになされる「正しさの強制」とパターナリズムや全体主義、専制の正当化への恐れという点も争点たりうる。

2011-12-19 13:26:13
@loren2hart

さらに、この西洋の価値一元論にも似た「ひとつの道理」に対しては、個性の多様性を擁護したJ.Sミルがその多様性が社会をより複雑多様で高次に導くと説いたことも批判的な観点として考慮の価値があろう。いずれにしても現在の政治理論においては、価値多元主義がマジョリティである。

2011-12-19 13:27:05
@loren2hart

しかしながら、天上界の全知全能という状況においては果たして、どうかというのは思考実験を重ねる価値が大いにあり、後続の研究が待たれる昨今である。さて、政治理論なんてろくすっぽしらないので、そろそろ適当なことを抜かすのはやめよう。閑話休題である。

2011-12-19 13:27:37
@loren2hart

まあ、とにかく、俺たち魂は、自ずから苦行でもって魂を磨くべく、創造主の創り給うし、宇宙という苦行の場の中から自己に適した星を選び、自分に適した姿に身をやつして、仮身に宿るのである。

2011-12-19 13:30:41
@loren2hart

ここで、俺から「全能の力をもちながら、なおも、創造主のつくった環境で修行しようなんて甘えだ。もっと過酷な修行の場を天上界に己の力でもうけて、より過酷な魂の研磨をすべきだ。天上界の魂どもにはベンチャースピリットがない。けしからん」という指摘がなされ、彼は少し寂しそうに笑った。

2011-12-19 13:31:37
@loren2hart

とにかく、そういう風になっているのだ。さて、そうして、選んだ星(ここでは地球としよう)に、全能の力を失い、舞い降りた我々は、有限の生のなかで創造主の教義を学び、死を持って天上界に帰るのである。しかし、それは、言うは易し、である。

2011-12-19 13:32:34
@loren2hart

実際には、諸君同様、欲望花栄る浮世の街で我々の多くはしばしば深い業に囚われて、真実が見えぬままに、その生涯を終えてしまうこともある。その場合に諸君はどこにいくか。

2011-12-19 13:32:50
@loren2hart

地獄のシステムは極めて興味深い。よくよく、聞くように。地獄に落ちたものは、浮世での業を贖うべく、その業の対極になす罰を課せられる。食欲に溺れたものには飢餓を、怠慢なものにはブラック企業で文系上司から振られるシステム開発への従事といった具合である。

2011-12-19 13:33:20
@loren2hart

地獄には、浮世の生を自然に引き継ぎながら落ちていく。だから、はじめは、自分が死んだかも分からず、また、なぜ苦役に付されているのかもまた分からぬ。ゆえに、地獄に落ちたものは、まず、愚かにも憤慨する。己の罪を認めずに憤慨するのだ。そこで地獄の担当者(ジゴタン)の出番である。

2011-12-19 13:33:40
@loren2hart

彼は、汚れた魂たちに、少しずつ、その救いの端くれを与えていく。なぜ、おまえが地獄におちたのか、どのように悔い改めるべきか、と。相当のサディストか、ツンデレである。そして、いつの日か、長い悠久の時を経て、魂は地獄から解脱し、天上界に帰り、魂を磨くべく、また、仮の世に度に出るのだ。

2011-12-19 13:34:58
@loren2hart

この処罰の裁定権はジゴタンにあるのだが、前述よりも複雑なケース、例えば、変態オナニー快楽主義者の魂は、じらせども極楽、射精地獄は桃源郷、彼を罰して悔い改めることは難儀極まる。

2011-12-19 13:36:31