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@eriko_tamaki 沖縄の方言と日本語は文法が一緒だから全くの違う言語にはならないよ。 それに古語を調べろ。 共通点あるぞ。 それにDNAも琉球民族と大和民族は一緒だよ。
2024-01-24 13:09:57@eriko_tamaki 方言か、独立言語か、は政治的立場がからむ微妙な問題。 例えば広東語や福建語は普通話の方言か? スペイン語とポルトガル語は独立言語か?
2024-01-23 14:21:17@eriko_tamaki 沖縄の言葉に多く元の日本語の言葉が残ってるんだよね😅 沖縄にルーツを持つ身としては誇りに思うけど、、
2024-01-23 17:56:42テレビのバラエティーで「沖縄方言禁止記者会見」なる企画が炎上してるけど、自分の親の世代にまだ現役だった「方言札」というのがあって、学校で沖縄方言を使ってしまうと木製の札を首から下げるというのがあった。一度札を下げられた子は、他に方言を使う子を見つけて札をかけかえるというルール。
2024-01-20 13:06:00方言札は戦前と戦後でかなり意味が変わる。 日本軍が沖縄は本土上陸作戦の入り口になると踏んで沖縄に対しては全国的にも特に皇民化教育に力を入れた。 沖縄県出身の軍人を積極的に軍神化して皆彼らに続けという教育を行ったり、軍人以外にも戦陣訓を教え込んだりした。
2024-01-20 13:06:01沖縄方言は当時は特に日本語との違いが大きく、本土の人間にはほぼ会話の内容が理解出来ないほどだった。 しかもラジオやテレビも普及する以前なため、当時の沖縄県民の中で日本語を正確に話せる人はかなり限られており、軍部はこれが沖縄決戦の足かせになると見ていた。
2024-01-20 13:06:01結果、学校教育で正しい日本語を教えるべしとして「方言札」を活用した。 そして戦後。米軍統治下の琉球政府に生きる沖縄県民の中で「祖国復帰」が大きな目標になった。 そのため、戦前は日本政府から言語格差の是正のため用いられた方言札が、戦後は日本復帰への憧れとして沖縄が自主的に起用した。
2024-01-20 13:06:02「核抜き本土並み」を号令として推し進められた本土復帰運動だったが、1972年に復帰を果たすも今に続く日米安保の板挟みと、そこから起こる数多くの日本政府との軋轢が「方言札」を負の歴史として定着させてしまった。
2024-01-20 13:06:02沖縄県民でもこの歴史的経緯を知らない人は多いので、バラエティー番組を制作している本土の人が「方言札」を想起させるネタが問題になるという事を知らなかったのは致し方ない部分もあると思う。 関西弁禁止位のノリで企画しちゃったんだろうけど、沖縄方言禁止は全く違う意味合いを持ってしまう。
2024-01-20 13:06:02ちなみに沖縄県民が「方言札」をお笑いのネタにするのは全然許容されてます。 この辺りの歴史とアイデンティティーが絡む問題に関しては身内間のいじりと、外部(大和人)からのいじりでは全く前提が変わって来るって話。 youtube.com/watch?v=1wMs6e…
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