「ゲームからきちんと帰還する」徳岡正肇氏のつぶやきまとめ

「プレイヤーを没入させて離さないほどいいゲーム」は本当か? 徳岡正肇氏のつぶやきをまとめました。
ゲーム ゲーミフィケーション ゲームデザイン
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m.tokuoka @goodhuntstalker
ゲームの奥を浅くしろ。ゲーム業界の次の一手を考える。 #BLOGOS http://t.co/P4PiOsm2 まぁでもこの結論は「言うは易し」の一言に尽きますわなー
m.tokuoka @goodhuntstalker
「あんなのはゲームじゃない」っていうのは、ゲームならではの面白さを提供していないのではないか、と感じられる作品に対して発せられる疑問だから、実はとてつもなく面倒くさくて敷居の高いゲームに対しても同じ評価がくだされることがあるのですよね。
m.tokuoka @goodhuntstalker
テトリスが真に偉大なところは、一人でプレイできる、その一言に尽きると思う。将棋の何が問題って、対戦ゲームであるがゆえに、どうしても外の世界(他者)を意識しないといけない。
m.tokuoka @goodhuntstalker
他人のプレイを意識する(させる)というのは、一般に良い効果ばかりが期待されているけれど、マイナスの側面も大きいように思う。ゲームが他者と接点を持てば、「飽き」は遅いかもしれないけれど、「燃え尽き」の危険性が急激に上昇するんじゃなかろうか。
m.tokuoka @goodhuntstalker
テトリスにしても、自分一人で遊んでいるぶんには、たぶん半永久的に遊べる。でも「ここが自分的な到達点だなあ、俺も上手くなったもんだ」と満足してるところに、超絶プレイを見せられて、「よし俺もここまでやってやる!」と燃え上がる……というのはあまりに楽観論すぎる。
m.tokuoka @goodhuntstalker
私の尊敬するキ印系ゲームデザイナーは、自分のゲームをプロメテウスの探索に譬えている。「ゲームを通じ、我々は我々の知らない自分、我々の知らない世界に遭遇し、そこで『炎』を掴むことだってできる」「けれどその探索が成功に終わるためには、プロメテウスは地上に帰還しなくてはならない」(大意
m.tokuoka @goodhuntstalker
より大きな「誰も見たことのない世界」「未だ知らぬ自分」「神秘の炎」を用意し、炎に至る過程や炎を描く技術を高めるのは大いに結構。でもそこにちゃんと「帰還路」はあるのだろうか。
m.tokuoka @goodhuntstalker
ゲームは強力なツールだと思う。そのことはGamificationの研究を出すまでもない。そうであるからこそ、ゲームに手綱をつける人間は、ゲームからきちんと帰還する方法を何よりも先にデザインしなくてはいけないのではないか。
m.tokuoka @goodhuntstalker
「いやいやどっぷりハマるゲームを作らなきゃ売り上げが立たない」というのはご説ご尤も。でもその結果が「ゲームから卒業した」人の量産ではないの? 一度卒業した人を取り戻す手段がゲーム時間の短縮化・ゲームの簡便化であるなら、いつかゲームはゲーム以外のエンタメに溶解してしまわない?
m.tokuoka @goodhuntstalker
で、これはまた別の技術論なんだけど、没入させるという技術に関しても、本当に没入させるだけでいいのか、というのは考えるべき問題だと思う。この「いいのか」というのは、没入させる技術だけで、本当にプレイヤーを深く没入させられるか、という論点。
m.tokuoka @goodhuntstalker
個人的には、「没入させるための技術で没入させる」先には一定の限界があって、しかもその最先端はロクなことにならないと思う。依存というのは最も深い没入のひとつのスタイルであり、なら依存状態をいかに作るかを考えればいい、という話は、正直まぁアレだ。
m.tokuoka @goodhuntstalker
いやまぁ依存状態っていうのはほんと恐ろしくて、一度依存状態に陥った経験があると、「二度とあんな依存はしない」んじゃなくて、「またああいう依存ができたらなあ」と憧れる傾向があるので、集金先として素晴らしい、わけですが。ですが。ですが。
m.tokuoka @goodhuntstalker
というか確かこのあたりの「依存させる技術」が、MMORPG最盛期からちょっと傾いたくらいの時期にGDCで講演されていたハズ。
m.tokuoka @goodhuntstalker
依存による没入の維持の抱える問題はいったん棚上げするとして、でもこの依存関係を構築するというのは、必ずしも絶対ではないと思うのですね。そして、「ちゃんとした帰り道を作る」ことは、実は依存と同じくらい強いインパクトを与えうるんではないかと。
m.tokuoka @goodhuntstalker
というのも、刺激というのは絶対値ではなく相対値なわけです。依存状態は絶対値としては刺激が高いものの、相対値としては非常に小さい。だから「ゲームは続けているけれど、何が楽しいのか分からない」状態が簡単に生まれる。
m.tokuoka @goodhuntstalker
ここで「ちゃんとした帰還路があるゲーム」は、刺激の相対値を大きく取れる。ゲームそのものが与える刺激が小さくても、ゼロから刺激が発生するのであれば、それは非常にインパクトのある体験となるわけで。
m.tokuoka @goodhuntstalker
なのでゲームを作る側としても、強烈に高い絶対値の摩天楼が立ち並ぶ中で少しでも高い絶対値を求めて戦うより、一度プレイヤーをちゃんと地上に戻したほうが、コスパは上がるハズです。
m.tokuoka @goodhuntstalker
ずーっと没入状態が続くゲームは、必然的に、何らかの事情で没入感に傷がついたその瞬間のほうが印象に残らざるを得ません。逆に、まぁ没入ってほど没入感はないな、というゲームが、ある瞬間にふっとフォーカスがあうと、それは一生ものの「楽しい」経験になりうる。
m.tokuoka @goodhuntstalker
おそらく「2つのことを同時にさせろ」というゲームデザイン技術は、ここからも説明できるんではないですかね。何の苦もなくあらゆる行為が実現するゲームは、実現しそこなった瞬間がストレスになる。2つを同時に実現するとなると難しい(1つなら簡単)なゲームは、同時に実現した瞬間が記憶に残る。
m.tokuoka @goodhuntstalker
ということで森博嗣センセの「人間は速度であれば光速に耐えられるが、加速度には耐えられる上限がある」というお話でしたとさ。ゲームに対していかに上手いゼロ点を作るか、それをゲームの外側からも考えるべきなんだと思いますわ。

コメント

江口 隣太郎 @3GUT1_R1NT4R0U 2011年12月24日
ゲーム業界はディズニーランドを見習えと思う今日この頃。
lastline@BAKERO @lastline 2011年12月24日
RPGが楽しまれる理由の一つが、終わりがあるからなのかもしれないな。繰り返し遊べるけどもクリアは一つの区切りになる
keel @NORTHtheKEEL 2012年4月25日
・「あんなのはゲームじゃない」っていうのは、ゲームならではの面白さを提供していない、ってのはその通りだと思う。・ガラケーソシャゲのヒットゲームは言うほど底が浅くない。・「またやりたい」と思えるのがいいゲームで、「記憶を消してまたやりたい」と思えるのは面白いよりはショッキングなゲームという印象。 あと、任天堂はディズニーランドを見習っていると思う。
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