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「ここでいうテクストの物質性は、さまざまなものを指す。たとえばそれは、テクストが記念物化され、そのあげく追い求められ、闘争の目的となり、所有されたり、捨てられたり、時間のなかで実現したりする文化対象となる過程のことである。テクストの物質性はその権威のおよぶ範囲をふくむ。」
2024-02-07 13:54:36「多くの専門的文学批評もなんらかのかたちでテクストを物質的対象へと還元し、そうするなかで権力とテクストの、また権力と批評家との現実的な関係を隠蔽する。アカデミックなテクスト実践の現実の権力関係とのつながりを暴くこと、
2024-02-07 14:13:32それがオリエンタリストの言説に対するサイードの批判の根底にある姿勢である。」 (アシュクロフト+アルワリア『サイード』p41)
2024-02-07 14:14:10「現代の批評家たちは、みずからの支持基盤(つまり現代の読者)を捨ててしまったというサイードの主張が正しいか否かはべつにしても、多くの読者が、現代の理論の難解な言葉づかいのために、自分たちがますますよそ者扱いされ周辺に追いやられていると感じているのではあるまいか。
2024-02-08 12:03:26このことの皮肉な帰結は、多くの理論家たちの嗜好と、おそらくは真逆の方向に、批評が機能する事態をまねいたということだ。つまり批評は、いまもなお、ヨーロッパのエリート文化の支配的価値観を肯定し強化しつづけることになったのだ。」 (アシュクロフト+アルワリア『サイード』p61)
2024-02-08 12:05:25サイードにとってエッセイは伝統の桎梏から逃れられるジャンルである。なにしろそれは個人的なものを重視しながら同時に政治的な次元も引きずり、さながら「個人的なものは政治的なものである」というスローガンを地でゆくものだからだ。 (アシュクロフト+アルワリア『サイード』p68)
2024-02-08 12:33:32「世界について知ろうとするいかなる試みにおいても、既知のものは、それがどのように知られるようになったかによって、いやおうなく規定される。学問上のルールが、そこから得られる知の種類を規定する。
2024-02-25 09:29:13そしてこうしたルールの力が、またときにはルールの語られざる性質が、アカデミックな学問を、言説の原型的形式にみせかける。」 (アシュクロフト+アルワリア『エドワード・サイード』p98)
2024-02-25 09:29:22「つまるところ、オリエンタリズムの力とその比類なき生産能力を生み出したのは、それがテクスト性を重視し、先行テクストから得られた知の枠組みのなかで現実を処理せんとしたからである。オリエンタリズムは著述としてみれば、題材と真正面から向き合おうとしがら、
2024-02-25 09:30:11実際には、すでに書かれたものに応答し、それをもとに築き上げられた著述でしかなく、それは濃密な重ね書き(パリンプセスト)そのものであった。」 (アシュクロフト+アルワリア『エドワード・サイード』p114)
2024-02-25 09:30:18「帝国主義の構成的性格についてポリフォニーの観点から、このようにアプローチするとは、帝国主義と反帝国主義的抵抗の双方の展望を考慮することだ。これは宗主国とかつて植民地化された社会とのからまりあい重なりあう歴史を明らかにすることでもあって、
2024-02-25 09:30:42「抵抗する力、みずからをポストコロニアル的・反帝国主義的主体へと作り直す力を、サイードにおいて中心に位置する。そして自己のこうした再創造は、彼が強く影響を受けたファノン的観点にそって、コンテクストをあたえなければならない。
2024-02-25 09:31:17というのもアイデンティティをみずからの手で構築してこそ、自由といえるのだから。人類は、自らの手で自分自身をこしらえるものであり、たとえどれほど支配的言説に従属していようとも、それは可能なのだ。」 (アシュクロフト+アルワリア『エドワード・サイード』p202)
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