私は満たされないナルシシズムみたいなものを感じました。《海に降る霰の音を誰か聞く》にしても《青嵐ピカソを見つけたのは誰》にしても。 @yasnakam #shinsen21
2010-05-22 22:38:36「カンバスの余白」「ピカソ」「平面に立体を描く」「少年石に絵を描いて」。意外と絵が好きなんでしょうかね。視覚描写への執念や拘りということにはつながらないようですが。 #shinsen21
2010-05-22 22:38:55それはなるほど 涼しさのこの木 とかRT @yasnakam 逆に「いきいきと一本の木や冬の川」みたいに、自足しているときは「一本」なんだよね。 #shinsen21
2010-05-22 22:39:33「光」が肯定的に書かれているけど、それは、光が自分を露出するものだから、光が他者の承認を与えるものとして機能するから、と感じる。 #shinsen21
2010-05-22 22:43:46「小さい」という形容が多い。素材としても「団栗」とか「微震」とか「アルミホイル」とか「鹿の声届かぬ」「水に浮く一円玉」と細かいものへの傾斜があるのにトリビアルとかこせこせした感じがないのも特色。 #shinsen21
2010-05-22 22:43:52「桃咲いて骨光り合う土の中」もその系列ですね。 RT @yurayurayurano: この延長上に「ブラインド閉ざさん光まみれの蜂」の慈しむような視線があるのでしょうか。 #shinsen21
2010-05-22 22:47:16細かい・はかない・軽いものの句見た後で《これほどの田に白鷺の一羽きり》《冬蜘蛛の呼吸その巣に行き渡る》とかを見ると、空虚であることイコール充実みたいなことになっている。 #shinsen21
2010-05-22 22:48:08難しい言葉による表現を避けている&現代仮名遣い。背伸びしてない感。句材に人間としての好みが反映されている。ひとりで宝物あつめてるような。 #shinsen21
2010-05-22 22:54:16空虚=充実というか、小ささと大きさの対比で、その小ささがいかに大きいかを表現している句はこれからも出てきそう。俳句王国で 太陽に地球小さき稲穂波 てのを見た印象が強くて。 #shinsen21
2010-05-22 22:55:47慈しむという要素があるにしても普通の具体的人間関係の枠じゃないような雰囲気ありますね。ル=クレジオの小説みたいな大地と光と物質の生気だけあれば多幸感で柔らかく輝くのと似た感じと、ちょっとシニカルな引いた目とを足して2で割ったような。 #shinsen21
2010-05-22 22:55:57「ひとところ金魚巨眼となりて過ぐ」なんて、ものすごくトリビアルな内容なのに、こせこせした感じがないのは、文体がゆったりしているのと、「巨眼」という把握の切れ味が良いからかな。 #shinsen21
2010-05-22 22:56:48「巨眼」の発見感が中心にはなっていないんでしょうね。実際「ひとりで宝物あつめてるような」作りなのであまりに発見の驚きが強烈なものは入らない。 #shinsen21
2010-05-22 23:00:42題材の鮮度というのはどうなんでしょうか?見落としがちなこと、近くにあるのに言われてみて「あぁ」というのが、他の方より多かったように思うのですが。 #shinsen21
2010-05-22 23:01:05@yasnakam 大小とか量ってのはわりと楽に驚けるから、内容としてはキャッチーで、「いかに詠むか」で勝負するところ。勝負をかけることができるということかな、と。 #shinsen21
2010-05-22 23:02:48《虹見しと日記にありて憶えなく》。好きなものに反応していても思い入れとしてはこのくらいのものだったり、あえて「好き」と言われるのが「コンビニのおでん」であったり。 #shinsen21
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