題材の鮮度というのはそんなには感じませんでした。むしろ下手をしたら俳句臭くなりすぎて鼻をつまむことになるような物でも、思い入れも過度の突き放しもなく淡々とパステル画みたいに均して読めるものにしてしまう装置としての作者が目についてきました。 @_ot #shinsen21
2010-05-22 23:08:54@Seki_Etsushi 覚えていることは大事ではないのでしょうね。そのときの光とか温度とかモノとかを、撮まずにいられない性質。 #shinsen21
2010-05-22 23:11:34「天道虫死んではみ出たままの翅」にしても、特に突き放すでもなく、慈しむでもなく、宝物のひとつとして標本箱におさめられたという感じ。 #shinsen21
2010-05-22 23:14:18@_ot 「古典的な大家族の中の長女」、大家族かは置いても間違ってないと思います。くわえて言うなら、そこで現代の感覚の妙を得てしまった。かしこくて思いやりがあるから、両方に足をかけなくちゃいけない。 #shinsen21
2010-05-22 23:15:46光の扱い、点滅していたり瞬発的だったり、星みたいに遠い小さいものだったりして、それが別に弱さ・寂しさ・儚さには繋がらないし希望でもないし非情・無感動でもないという、外界に反応しているだけで自足していて孤独感のコの字もない感じ。 #shinsen21
2010-05-22 23:17:47遅刻です。すみません。星野立子に近いものを感じます。いい意味で小学生のような。驚きも淋しさも。それって素晴らしいと思う。 #shinsen21
2010-05-22 23:26:56あぁ、そう聞くと想像の光がただのまぶしいだけじゃなくてレンブラント風味になりました。 @cagemin 光、クリスマス、でいうと、「ブラインド閉ざさん光まみれの蜂」にはちょっと受胎告知めいたものを感じますね。 #shinsen21
2010-05-22 23:27:32普通こういう作りで身近なことを詠んでいたら作品世界全体にもうちょっと閉塞感が出てきたり、うまく出来ている句は手柄顔が鼻についたりするはずなんですがそうならないというのは実は結構特異な作者なのかも。 #shinsen21
2010-05-22 23:27:35#shinsen21 おじゃまします。明るくて、メロディアスで、そのまま短歌になりそうな感じがします。というか、若い歌人の感性に通じるものを覚えます。
2010-05-22 23:28:44タイトルになってる「ここもまた誰かの故郷氷水」、「青嵐ピカソを見つけたのは誰」「海に降る霰の音を誰か聞く」の「誰」、あと「どこへ隠そう」「明日来るか」なんかも、俳句らしさのひとつである「断定」をせず、だからか逆に記憶に残る。 #shinsen21
2010-05-22 23:29:44確かに、後半に《この星を見ている人がぶらんこに》や、《コンビニ》の句の星も非常に記号的ですね。「星の地図」も《夏は来ぬパジャマの柄の月と星》の星も本物の星じゃないのも示唆的かも。 #shinsen21
2010-05-22 23:30:34「どこへ隠そうクリスマスプレゼント」、歳時記で見た気がする……と思ったら、角川文庫の「いつ渡そバレンタインのチョコレート(田畑美穂女)」でした。いや、句の中身はぜんぜん違いますけどね。 #shinsen21
2010-05-22 23:30:57小さくても一瞬でも、きちんと光っている事実はありますから。「適切に」書くという意識がかなり強い。メーターの針の振り切れ方をもって作家性と呼べる人ではありません。 @Seki_Etsushi #shinsen21
2010-05-22 23:32:35RT @cagemin 関さんの、これで別に物足りないという気も特にしないから、っていうのはその通りですね。星野立子も。「どこへ隠そうクリスマスプレゼント」! #shinsen21
2010-05-22 23:33:33