「琴線に触れる」を「逆鱗に触れる」の誤用する人の存在を知って誤読回避は不可能だと気付いた話…「役不足」「二の舞を踏む」「透明化」などの誤用も

なるほど
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泉信行 @izumino

これは「言葉の生きた変化」としてそこそこ納得のいってしまう変化で(自然発生だとしても納得しがたい変化も当然ある)、「全然」が方向性のない強調の意味のみが残るのと同様、琴線も敏感さの強調のみが残ったことと、琴=禁のイメージが結び付いた結果で、逆鱗との混同や誤用でもなさそうだ>RT

2024-03-22 14:15:44
泉信行 @izumino

なぜ混同や誤用として片付けきれないと考えるかというと、そもそも「敏感な人」と言うだけで日本語では神経質で機嫌を曲げやすい人というネガティブな意味を込める言語文化が先にあるからで、 第36回 “琴線(きんせん)に触れる”とどうなるか? - 日本語、どうでしょう? japanknowledge.com/articles/blogn…

2024-03-22 14:19:02
泉信行 @izumino

「敏感な人と言うだけでは悪い意味にならない」という文化の上でなら「琴線≒逆鱗」は誤用だが、「敏感な人と言うだけで悪い意味になる」という文化が不動であるかぎり「琴線→敏感」という連想から「琴線≒逆鱗」という連想もまた自然ななりゆきになっていると思える

2024-03-22 14:21:36
泉信行 @izumino

敏感の類語でも「鋭敏な人」はほぼ褒め言葉として、「繊細な人」ならば両面的な意味で用いられるが、「敏感な人」は英語のセンシティブワードと同じく、ほぼ悪い意味(まさに「禁」に繋がるイメージ)でしか使われないというあたり詰んでるんだと思う

2024-03-22 14:25:04

仕方ないのか

おかざき登 @RaccoonBlack

@izumino そうですね。言葉は変わっていくものだとは思うので、仕方ない面はあると思います。 ある意味、貴重な転換点に立ち会えているのかもしれませんね。

2024-03-22 14:34:39
泉信行 @izumino

@RaccoonBlack 貴重な局面というのは確かにそうですね。また、こう考えると「繊細さ」を含めた両面的な意味としてなら同時に残り続けるだろうという期待もできそうです

2024-03-22 14:49:38
米谷昂@FastAPIガチ勢 @yoneya_fastapi

@RaccoonBlack そもそも自然言語は、時と共に意味が変わる、と言う歴史を繰り返して今があるので 普遍的な意味がある というものでもないんだよな

2024-03-22 17:59:10