天台宗と信玄…個人的な考察

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日光81 @nikko81_fsi

起きてから、「大日本古文書 家わけ十二ノ一 上杉家文書之1」を見ていて驚く。比叡山正覚院の重盛(豪盛)の恐らく先代に当たるだろうか、正覚坊秀清なる人物が長尾為景に祈祷をしている。しかも祈祷料として越後国内の領地を寄進している。年未詳だが、「長尾信濃入道殿御宿所」とあるので、隠居後?

2024-04-30 11:59:51
日光81 @nikko81_fsi

その他、天台座主・尭尊法親王(覚恕の先々代)から天文22年、また年紀は不明ながら座主庁務から重盛宛、その他重盛からの文書が4通、秀清からの文書も他に1通…などなど、上杉氏文書の正覚院関連の文書が多数あることに気づく。

2024-04-30 12:10:41
日光81 @nikko81_fsi

これらは翻刻されていないのかな…大日本史料の上杉氏文書1-3には出てこない。それでも為景代から関係があったこと、覚恕以前の天台座主とも長尾上杉氏が通交していたことがわかるのは大きい。またいずれも正覚院重盛であって、豪盛ではない点にも注目したい。宝菩提院灌室の流れを受ける前?

2024-04-30 12:14:37
日光81 @nikko81_fsi

信玄との関係で問題になるのは、上杉氏文書の1、492/493号文書。重盛が武運長久の祈祷をしているのだけど(492)、493号でこれまでの比叡山正覚院と長尾上杉氏の間柄があるものの、武田晴信・伊勢新九郎(氏康)の調伏を依頼され、驚く重盛。武運長久はあったが調伏はなかった…

2024-04-30 12:19:58
日光81 @nikko81_fsi

かつて先代の頃、晴信から祈念を依頼されたが当山ではそのような法はしていないと対応。晴信の依頼は反故にされた。為景以来の関係もあるし些かも疎かにしていない…と弁明。どうやら謙信が晴信の依頼を察知し、疑念を持って問い合わせたのかな。

2024-04-30 12:25:34
日光81 @nikko81_fsi

反故にしたことを示すもの見てほしいとするが、他に漏れないよう慎重にと河田長親に頼んでいる。それは正覚院の末寺が武田領国内の信州にあることからで、隠密に進めたいとしている。

2024-04-30 12:29:22
日光81 @nikko81_fsi

で、この信州の末寺で、重盛が兼帯していた瑠璃寺には信玄の文書が残り、「此已然輝虎祈念、更不存遺恨候事」とある。ここが正覚院の接点の最初かなと思うのだけど、それ以前は上杉との関わりが強かったんだな…

2024-04-30 12:34:56
日光81 @nikko81_fsi

この後、謙信は関わりの強さを天台から真言にスイッチしていくのも、重盛の弁明むなしく、謙信が晴信とも通じていることで、父以来の関係を見直したのかもしれない。一方、信玄はこれを契機に天台宗への関わりを強くしていく…とか?

2024-04-30 12:36:54
日光81 @nikko81_fsi

この瑠璃寺所蔵文書は戦武2121。永禄6年?四度加行の指南を求め、毘沙門天・大威徳明王などの「法」を伝法を正覚院重盛に要求し、また来年6月の法会までに好きなように戻っていいとあるので、正覚院を下向させていたっぽい。 x.com/nikko81_fsi/st…

2024-04-30 12:40:58
日光81 @nikko81_fsi

その次は、戦武1471。陽雲寺所蔵の起請文、永禄12年11月。駿州静謐が達成できれば、翌年庚午の年(=永禄13/元亀元)から天台の化行を学び、起請文の書かれた11月から肉食を断つと宣言。この頃北条を三増合戦で押さえ、再び出陣し蒲原城を攻略、駿府を再制圧、駿府で越年。信玄本意が達成された。

2024-04-30 12:43:37
日光81 @nikko81_fsi

続いて戦武1573、元亀元(1570)年7月。覚恕、天台座主就任。これに際し、信玄から祝辞。この時点で覚恕に連絡できているのは、正覚院の伝だろうけど、すでに一定の修行を終え、天台僧としての立場を確立できていたのかも知れないな。

2024-04-30 12:45:36
日光81 @nikko81_fsi

戦武4043、元亀二(1571)年5月、正親町天皇綸旨。覚恕の天台座主補任に際し、物入りなので、国家安寧、武運長久を祈願するために覚恕と合力し、門跡を再興せよとの内容。叡山焼討の直前。そして9月に焼討…正覚院らが愛宕山威徳院を経由して来甲。

2024-04-30 12:47:19
日光81 @nikko81_fsi

戦武1754、元亀二(1571)年11月。新宮大夫(駿府浅間社)宛てに定めとして、信玄が天台宗を崇敬しているので、比叡山の僧を住持にすると言っている。叡山から逃れた僧に対して駿府にて住持とする寺を宛がったのだろうか?

2024-04-30 12:48:27
日光81 @nikko81_fsi

そしてその5ヶ月後、武田不動尊落成していて(元亀3年4月)さらに3ヶ月後の7月、勅許を得て僧正位拝領しつつ、吉祥院なる僧の至急下向を要請(戦武1926/27/28)少なくともこの頃には修行は終わっているだろう。天台の修行なく僧正にはなれんだろうからね。

2024-04-30 12:50:47
日光81 @nikko81_fsi

後に謙信が受けたような伝法灌頂だったり、そうした密教を継承する過程を信玄も受けていたのだろうな。戦武1921、元亀3(1572)年7月には、勝仙院(現住心院)宛条目で、三ヶ年以来(=元亀元年)山門の穴太流を相伝していると述べていて、穴太流台密を修得していると言ってるしね。

2024-04-30 12:53:10
日光81 @nikko81_fsi

さらにこの条目では、武田は新羅三郎以来、園城寺と関わりがあることを主張、延暦寺も園城寺も同じ天台宗、今度は先祖所縁の寺門派智証流を相伝の希望。勝仙院の本寺聖護院は、園城寺所縁。これまで将軍の使者として2度門主が甲斐下向をしていて、また聖護院道澄の熊野入峯に際しては…

2024-04-30 12:56:56
日光81 @nikko81_fsi

甘利信忠の添状によれば、「就御門主様御入峯、当国修験中江被仰付子細、可致馳走之由、令得其意候」と協力を快諾している。道澄の熊野入峯は永禄10年、また甘利信忠も『従心院文書』では生没年未詳とあるが、『家臣団人名辞典』では、永禄10年8月22日歿。文書が7月付けなので矛盾ナシ。

2024-04-30 13:02:03
日光81 @nikko81_fsi

弘治3年、道澄が来甲。これを受けてか、穴山信友・小山田虎満そして武田義信の文書が残る。穴山・小山田は「閏六月」のため永禄元年といえ、義信は六月。永禄10年段階では義信は登場しえないので、同じ時期だろう。三管領に準じる待遇を得ていることもあり、義信が出る必然性を感じる。

2024-04-30 13:07:17
日光81 @nikko81_fsi

こういうこれまでの聖護院・勝仙院を通じた関係を踏まえ、叡山山門派の台密を修得した後、さらに寺門派智証流をも会得を目指す信玄。園城寺から「真言鍛錬之人下向」を求めている。山門から寺門へスイッチ?と以前考えたが、そうではなさそうだ。

2024-04-30 13:11:16
日光81 @nikko81_fsi

年未詳の勝仙院増堅宛信玄文書(70)には、先年増堅が下向した時に「不能閑談条、無念候」「随而当家之事、園城寺可崇敬由緒之条、向後者別而、可得御門主御意之旨存候」とあって、直接増堅に依頼し、門主道澄の許可を得ようとしていたのかも知れない。

2024-04-30 13:14:39
日光81 @nikko81_fsi

ただ、元亀4年には信玄は死去してしまうので、結果叶わないままだっただろうけど、聖護院との関係でも急に先祖の園城寺崇敬の由緒を持ち出したりして、唐突な印象はあるが、寺門派(叡山)だけでなく山門派(園城寺)までその食いつきようが何とも謎…

2024-04-30 13:16:46
日光81 @nikko81_fsi

叡山正覚院は謙信との件があって、信玄もそうした敵国調伏の法を会得しようとインスパイアされたのかなとも考えたけど、この主体的な天台宗の取り込みよう、まだまだ気になるな…

2024-04-30 13:18:03
日光81 @nikko81_fsi

続いて、山岳修験65号「比叡山における豪圓の活躍―曼殊院文書の紹介―」の再読。ここで示される「加田備後宛西楽院豪圓申状」は非常に貴重な情報を与えてくれる。当初は、この論文で天海が甲府にいたこと、天海が甲府にいた頃に信玄秘蔵の千手観音像があることを知ったのだけど…

2024-04-30 13:48:16
日光81 @nikko81_fsi

豪盛弟子である豪圓が比叡山焼討の時には安芸におり、叡山焼討を知ってとって返し、丹波から八瀬、大原、坂本…と師である豪盛を探し歩き、ようやく「愛宕山西坊」で再会したと記している。つまりは、正覚院豪盛は甲府に来る前に、一時的に愛宕山威徳院に潜んでいたらしく、旧知の関係だったのかも? x.com/nikko81_fsi/st…

2024-04-30 13:48:41
日光81 @nikko81_fsi

宝暦年間ではあるものの、延暦寺の本末帳では白雲寺は延暦寺の直末として天台宗寺院として記録されているし、白雲寺の勝軍地蔵は当初、比叡山への移す打診がなされたそうで、豪盛が逃れたことからも戦国期も、白雲寺や愛宕五坊も延暦寺の影響下にあったと考えていいのでは?

2024-04-30 13:48:52