「装備が段々しょぼくなる」「病人が新兵」~戦争経験者が当時「負けてる?」と思った契機は(その他、体験談多数)
98歳でしんだ爺ちゃんが「わし泳げないから陸軍に行って、配属先も運良く大陸戦線だったし、概ね勝ち戦ばかりだったから死なずに済んだ。ただし歩いた。歩いて歩いて歩きまくった。補充で送られてくる新兵の装備が年を追うごとにどんどんショボくなっていて、負けてるのでは?とおもった」と言ってた。
2024-05-20 14:31:13愛車は996GT3とヤリスRC。ペットはYZF-R1。趣味で艦船模型を作ったり漫画を描いたり、テーブルトークRPGしたり。台湾の主権を尊重します。
具体的にどうショボくなったかというと、ブーツが牛皮革→ブタ皮革になった。 爺さんが言うにはブタ皮革のブーツは毛穴痕から水漏れするらしい。 しかし水筒が竹筒になったことが古参兵たちにはもっとも衝撃だったらしい。部隊で「えっ、本当にこれ制式採用なの?私物じゃなく?」と騒ぎになったと。
2024-05-20 19:40:53先行まとめ
ここでは、それ以降のものを中心に記録しています
こういうの聞くと、終戦時大尉だった大伯父にもっと話を聞いておければ良かったなぁと思うけど、そうと知ったのが亡くなった後だったからどうしようもなかった。 自分にとっては単なる「本家の無口な爺さん」だった。 x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 11:14:18これ部隊によっても違うんだろうけど、爺さんとこの部隊は古株と補充兵で装備に差が出たことは無かったそう x.com/choske_gt3/sta…
2024-05-21 12:06:57ワイの死んだじいちゃんも2回戦地に行って2回目はそんな感じだったけど、だからと言って敗戦国になった自分の家族の仕打ちやいく先を考えると負け戦でも戦うと。負け方でも相手の姿勢は変わってくると。 x.com/choske_gt3/sta…
2024-05-21 12:07:00いわゆる、戦時中に出ていたアカガミは、6つの兵役から、「選択」と「おまかせ」の2つに部門が分かれていた 当時は情報がほぼ無い時代だったので、ほぼ全員は、おまかせ、に丸を付けて提出していた 今回のケースは、陸軍、を選択してたので、生きていた おそらくは飛行機部門だと死んでいた x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 12:52:46中学校の社会科の先生も、大陸で「勝って勝って勝ちまくっていたのに、ある日戦争負けたと聞かされてきょとんとしたんだ」って話していた。そういう体験をした人、ほんとにいたんだな。それにしても、社会科の先生が、腹一杯人殺しをした話を授業の前振りでしていたんだから、平和な時代ではあった。 x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 13:00:47うちのじいさんが近所の人たちで近くに落ちてきた米軍機を見に行った時と似た話でびっくりしてる モノの出来具合の差を見て、これはだめなのでは?って思ったんやって 誰からともなくそういう空気感になったらしい 見なかったことにするしかなかったのだが… x.com/choske_gt3/sta…
2024-05-21 13:38:44祖父も陸軍なら死体くらいは残るだろうと志願した。こちらは出征前に戦争が終わってしまったが。 x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 13:59:43うちの伯父はたまたまその時に感染症で徴兵検査に通らず、しかし小さな島の人間で船に乗れたから輸送船の船員になって、南方戦線に兵隊さんを送る仕事をしたそうです。 兵隊さんははしけをかけて下そうとすると、上陸地の土を踏む前に米軍の機銃掃射で片っ端から死んだそうです。 x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 14:05:14@choske_GT3 病室で一緒になったお爺さんが元陸軍と。よくよく聞けば占守島配備。戦中は備蓄も十分で「腹が減って仕方ないって事は無かった」と。ただ「終戦後に謎の集団が上陸してきた時はドタバタしたが」と。池田大佐の事も知ってました
2024-05-21 14:16:29@choske_GT3 末期には鮫皮の軍靴になり行軍中にひどく水が染み込み足が傷んだ…という話を聞いたことがあります🦈
2024-05-21 14:19:39南方にいた祖父も「若い兵隊が菊の紋の入ってない銃を持って来たときは…」って話していたなぁ。 軍事教練用の古い銃か粗悪な銃か? それからは、負け戦になったら若い兵隊を暴発させず部下をまとめて無事に帰国させることばかり考えていたとか。 x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 14:29:30曾祖父ちゃんがシベリア帰還兵だった 日本では1日で100km行軍してたらしく年をとっても健脚だった シベリアでは食べ物も着るものも布団も足らずで、部下の方々が差し出してくれたおかげで生き延びた、その人達はそこで多くが亡くなっていったと聞いて、命を貰って繋いでいた… x.com/choske_gt3/sta…
2024-05-21 14:38:13高齢者介護で知り合ったおじいさんで、「こんなあほ徴用する時点で負けると思ったわ」と言ってたの思い出した。 x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 14:51:10@choske_GT3 @Argenco2 7年前に93で死んだ父は平城で捕虜になりウクライナまで送られてs24年に帰ってきたんですが、家族と行動を共にする時、誰よりも先を歩き、追いつくことが出来ませんでした。高齢になっても同じでしたね。
2024-05-21 14:54:26うちの父方祖父も大陸戦線。 危うくソ連に抑留されるところだったと聞く。 軍歴証明書とりたいな。 x.com/choske_gt3/sta…
2024-05-21 15:03:51うちのじいちゃんも大陸行ってた人だからあと10年長生きしてくれたら根掘り葉掘り聞いたのにと悔しく思っている。 x.com/choske_gt3/sta…
2024-05-21 15:47:51泳げないのに、海軍士官のカッコ良さへの憧れと自分は秀才であるという自負心から海軍兵学校を受験して一発合格した人から思い出話を聞いたことがある。2万マイル(?)だったかの遠泳が必修で、遺書をのこして臨んだ由。死ねば戦死扱いだったようだと語っていた。怖。 x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 16:19:28@choske_GT3 うちは、祖父の世代の親戚一同が中国で塹壕掘る係だったそうですが。 戦地の不衛生な環境がたたって、みんなで病気に。役に立たない兵士は本国に送り返そう!で、全員戦争が終わる二年前に帰国。 おかげで母の誕生日が1945年8月19日。
2024-05-21 16:40:32@choske_GT3 うちのじいさんは 「訓練してシンガポールに配属になった。船旅楽しかった。現地着いてワニ皮の財布買ったりしてたら敗戦ってなってトンボ帰り。同級生9割戦死していてびっくりした。」 って言ってた。ばあちゃんは『海外旅行に行っただけの人』とか言って笑ってたなぁ
2024-05-21 17:11:55装備どころか「病人が新兵かよ」とは肺病療養中、学徒動員で丙種合格にでっち上げられた伯父が配属先、哈爾浜の通信隊で上官に言われた愚痴らしい。有線だったのでクソ重い電纜運びをやらされたとは聞いた。伯父は帰国できぬまま戦病死、詳細はわからない。 x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 17:18:43装備がショボくなるくだり、岩手のおじいちゃんが全く同じこと言ってたらしい(お母ちゃんから聞いた) x.com/choske_GT3/sta…
2024-05-21 17:46:43