「世界はいくつもの箱だよ。人は体を折り曲げて自分の箱に入るんだ。 ずっと一生そのままに。やがて箱の中で忘れちゃうんだ。 自分がどんな形をしていたのか。何が好きだったのか、誰を好きだったのか。」
2012-01-05 17:09:26安部公房の『箱男』の箱は、どちらかというと自ら閉じこもる対象としての箱だったように思う。それを受けて書かれた、京極夏彦の『魍魎の匣』は偏愛の対象物を収めるものとしての匣、箱庭的なハコだったのでは。
2012-01-05 17:11:07マルセル・デュシャンは自分のものを箱にいれ、瀧口修造は記念品を入れた、とわたしのノートにはあるぞ。両人とも、「箱に入れる」という行為を行った。
2012-01-05 17:14:59サネトシ先生の言う「ハコ」は、大小様々な大きさのハコ、箱庭から箱庭へ移っていくという意味だと思うけども。仕切りがある空間でのみ意味を持つ行為を行い、居場所とするが、次第に絡め取られて身動きが困難になる。
2012-01-05 17:19:07@Orpheus00 こどもは小さな箱庭世界を創造して、そして小さな存在にまた還っていく、をあそびのなかで繰り返してるんだよね。おままごとも同じ。
2012-01-05 17:23:48関係ないけど、小花美穂の『こどものおもちゃ』というタイトルは秀逸だな。あたかも「おとなのおもちゃ(エロ)」との対立を連想させ、こども世界にはこども世界の秩序が存在し、そのルールは外では通用しないけれども、大人にとってもそれは同様であるということ。ケストナーと一緒だ。
2012-01-05 17:28:51劇場建築も、というより建築物全般が「ハコ」なのだ。劇場では、ハードがソフトの形を決定する、入れ物が中身を拒む、という現象はよくみられる。
2012-01-05 17:31:09@nahna_ こんにちは。「ハコ」連投を読んでいて、村上三郎の〈箱〉についての連作などについて、ちょっといい具合にまとめられそうなヒントが得られました、ありがとう!
2012-01-05 17:35:23@nahna_ 一連のツイートを見て、京極夏彦の『魍魎の匣』ってこうした諸々の「ハコ」の比喩をふんだんに詰め込んだ「ハコ」なんだなあと思ったりしました。
2012-01-05 17:38:02@nouta_rin そうですね。部分しか覚えていないのですが、宗教施設が出てきたり、臓器をハコと見立てたり、たしかラストは少女を匣に入れ込む男で閉じられるのですよね。
2012-01-05 17:40:43施設として、箱庭として、臓器として、支配対象として、、。人体スケールよりも大きいか、小さいか、というのも受容だよな。あと、内側か外側か、見るのか見られるのか・・・
2012-01-05 17:42:46メアリー・ノートンの『床下の小人たち』は、自分が見る側だと思ってたら見られる側だったという話だし、『南くんの恋人』はドラマしか知らないけど、ちよみちゃんが倒錯した性愛の対象である。
2012-01-05 17:44:32