雁琳先生のポリコレwoke教室

雁琳先生のポリコレwoke教室 ポリコレwokeの思想史的な説明 これは埋もれさせてしまうのはもったいないのでまとめておく。
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雁琳(がんりん) @ganrim_

これはネオ幕府イベントでも話したことだけど、ポリコレwoke、社会構造決定論とその社会構造に対する革命がセットになっている点で、マルクス=レーニン主義の正嫡なんだよな。経済が文化に置き換わっただけ。アメリカの保守派があの手のイデオロギーを「文化マルクス主義」と言っているのは正しい。

2024-06-14 13:57:31
雁琳(がんりん) @ganrim_

ポリコレwokeの先祖をただ「マルクス主義」と言わず「マルクス=レーニン主義」と言う点が重要で、ポリコレwokeにはマルクス自身の思想にはない「前衛党主義」ないし「党の指導性」、そして何より外部注入論の要素が欠かせないから。前衛党の民主集中制が分散型になっているから分かり難いが。

2024-06-14 14:03:44
雁琳(がんりん) @ganrim_

ポリコレwokeの連中が最近やたらと「アナーキズム」を唱えたがる(例えば高嶋鈴とか)理由、あれは、マルクス=レーニン主義的な前衛主義を「分散型」でやりたいからである。そこで、何故マイノリティのアイデンティティ政治はマルクス主義と違って「分散型」でやれるのかがポイントになる。

2024-06-14 14:09:49
雁琳(がんりん) @ganrim_

マルクス主義的な階級闘争はそもそも、「分散型」で遂行することが極めて困難である。何故ならば、階級意識とは歴史的社会的イデオロギーであって、単なる個人個人の心理的な自覚の問題ではないから。だからこそ、レーニン主義的な前衛主義が産まれた。ポリコレwokeはあくまでも個人からスタートする。

2024-06-14 14:18:01
雁琳(がんりん) @ganrim_

ポリコレwokeの場合、マルクス主義のようなマクロな歴史的社会的イデオロギーからスタートすることはない。ポスト構造主義を吸収したポリコレwokeにおいて問題となるのは常に、差異の体系から成るミクロな文化の構造であり、そこにおいて差別されている個人なのである。だから「分散型」が成立する。

2024-06-14 14:24:25
雁琳(がんりん) @ganrim_

それから、根本的な理窟として、マルクス主義(この場合はレーニン主義でないものも当て嵌まる)とポリコレwokeは何方も「疎外論」に立脚している。即ち、歴史的社会的構造によって「本当の人間性」と呼ばるべきものが疎外されており、それを打破しなければならないという立場に立っている。

2024-06-14 14:30:15
雁琳(がんりん) @ganrim_

この疎外論が、マルクス主義の場合は私有財産制および資本主義による労働者階級の搾取に見出され、ポリコレwokeの場合は人種・民族・ジェンダーその他の歴史的文化構造によるマイノリティ差別に見出されている。この考え方のポイントは、そうした構造に当て嵌まらない個別的な例外を許さない点にある。

2024-06-14 14:35:14
雁琳(がんりん) @ganrim_

そして、疎外論的な歴史的社会的構造から逸脱した個別的な例外を許さない(「これは搾取ではない」「これは差別ではない」の否定)という、この事態の核心は、偏に、歴史的社会的「構造」を上述の形で「解釈」する革命的知識人が「前衛」となって、その構造に対する「解釈権」を独占する点に存している。

2024-06-14 14:41:50
雁琳(がんりん) @ganrim_

これこそ、そもそも歴史的社会的構造を解釈することを仕事にする知識人連中がのさばる所以である。嘗てのマルクス=レーニン主義では前衛党があるので党理論家、そしてそれに追随するマルクス主義哲学者やマルクス経済学者が、現代の文化中心のポリコレwokeでは人文学者や社会学者が、それに相当する。

2024-06-14 14:46:11