【私見】或作品を批評することについて

批評家宇野氏のtweetと関連するやりとりのまとめ http://togetter.com/li/237067 について。 誰に何を言いたいわけでもない。 そもそも誰かに届く言葉だとも思っていない。 僕にとって作品を批評するということはどういうことか、 続きを読む
0
たちばなあざらし @miroungaleonina

ところで、もういい加減にほとぼりも冷めたと思うので、宇野氏のトリプルH楽曲についてのtweetと、それにまつわる一連のやりとりについて、もう一度だけ綴ってみようかと思う。http://t.co/6Wi9ArHA

2012-01-16 02:07:48
たちばなあざらし @miroungaleonina

ああ、勿論、宇野氏のtweetとそれに対する直接的な反応に対して、僕の主張したかったところは全て先のtogetterに綴ってある。明らかにそれを理解していない、もしくはそれを理解しようというつもりのないmentionsが届いたら、全て即刻ブロックするので、そのつもりで。

2012-01-16 02:09:40
たちばなあざらし @miroungaleonina

僕は寡聞故、サブカルチャー批評全体を一般的に語ることが出来るとは思わない。まして批評そのものを一般的に捉えられるかといえば、勿論そんなことはない。だからあくまで、今の僕が、どう考えているか……という事に過ぎないのだけれども、批評というのは、まず、作品から始まるものだと思う。

2012-01-16 02:10:58
たちばなあざらし @miroungaleonina

批評は作品から始まり、もしかしたら作者について語れるかもしれない。もしかしたら、時間を共にする作品群について、空間を共にする系譜について、そして時空を共にする社会、ないしは何らかの共同体について、語りうるかもしれない。だけどあくまで、僕にとって、批評はまず、作品から始まる。

2012-01-16 02:15:09
たちばなあざらし @miroungaleonina

その作品はどのような特徴を持っていて、何を表し得て、どのような可能性を持っているのか。そういうことを、批評家はまず、何を差し置いても、語らなければならない。それが別の活動でなく、或る作品に根ざした批評である限りにおいて。僕などはよっぽど、そう思っている。

2012-01-16 02:16:38
たちばなあざらし @miroungaleonina

作品の特徴を知るために、時間的・空間的なつながりは勿論大切だ。その作品がどこの何と繋がっているのか、というところから見えてくるものはたくさんあるし、そういうつながり抜きで純粋に作品から得られるものだけを分析するのは、多分、とてもとても難しい。

2012-01-16 02:18:17
たちばなあざらし @miroungaleonina

だからといって、批評家がすべきことはまず、作品を時間や人間や空間や思想とがちがちに繋いでしまうことではないと思う。もしかしたら繋がりがあるかもしれないが、然しその繋がりは、あくまでも作品本位であってほしい。

2012-01-16 02:22:51
たちばなあざらし @miroungaleonina

もしも或作品を、何か時間的繋がりだとか、人的繋がりだとかの内でしか見られないとしたら、それは歴史ではないか。もしも或作品を、社会の構造だとか思想だとかの発露としてしか見られないとしたら、それは……何なのだろうか。少なくとも、それは批評より、学問に近いもののように、僕には思える。

2012-01-16 02:24:37
たちばなあざらし @miroungaleonina

要するに僕が批評家に求めるのは(そして僕が採りたいと思う態度は)作品本位にして作品に始まる批評だ。それがどこまで拡張されていっても構わないし、批評家の能力としての凄さはその拡張に現れる部分が大きいとは思う、けれど、作品に足がついていない批評は、僕にとって佳い批評ではない。

2012-01-16 02:27:53
たちばなあざらし @miroungaleonina

他の言語でいう、criticism / critique / Kritik などは、「批評」「批判」いずれの意味をもある程度またいでいる言葉だ。おおよその意味は、あるものの性質、限界性、妥当性などを、合理的かつ反省的に考えること、くらいに捉えておけば大丈夫だろうか?

2012-01-16 02:53:07
たちばなあざらし @miroungaleonina

その言葉を或作品に向けたとき、そこには美的判断の要素が発生してくる.美的判断がいかなるものか言及して定義するのは今の僕には手に負えないので括弧に放りこんでおくとしても、いずれにせよ「作品の批評」と銘打つなら、先ず扱うのは、作品の性質(良し悪しなどを含めるかは置いておいても)だろう

2012-01-16 02:54:35
たちばなあざらし @miroungaleonina

先に紹介した、批評家・宇野氏のtweetにまつわるやり取りについて、僕が最も不毛に思ったのがそこだ。正直、殆ど誰も、作品の特徴を批判しようとなんて始めからしていなかったのではないだろうかと思うのだ。

2012-01-16 02:55:57
たちばなあざらし @miroungaleonina

※何度でも繰り返すが「批判」は 決 し て 「いちゃもんをつけること、否定的な評価をすること」ではない。結果的に評価が否定的になることはあるが、結果と「批判」という語の因果関係はない。「批判不可能」という言い回しも同様に、「文句の付けられない素晴らしさ」を一毫たりとも意味しない。

2012-01-16 02:57:53
たちばなあざらし @miroungaleonina

本筋に戻れば、宇野氏のtweetを含む一連の流れの内でいったい誰がトリプルHの唄う"Rock Over Japan" の性質を吟味したか? 宇野氏自身がまずはじめに、その楽曲に「〇〇的」というラベルを貼るのに腐心してろくに作品の特徴についてつぶやかない。

2012-01-16 03:01:35
たちばなあざらし @miroungaleonina

宇野氏のラベリングに異を唱える人間にしたって、「〇〇年的」というラベルの年代が「作品が発表された客観的年代と違う」ないしは「自身の知るARB楽曲の評価と異なる」ことを、鬼の首をとったように云う。それは宇野氏の知的怠慢ではあるが、それが作品にとっていったい何だと云うのだろう?

2012-01-16 03:04:09
たちばなあざらし @miroungaleonina

作品の特徴に、どのようなラベルを貼ろうが、そもそもの作品の在り方は寸毫たりとも変わらないのである。そこにとにかくラベルを貼ってしまおうとする宇野氏のやり方は褒められたものではないが、それ以前に、誰も、一人として作品と真摯に向き合おうとしていないのではないだろうか。

2012-01-16 03:06:57
たちばなあざらし @miroungaleonina

宇野氏の非難をする論調の中に、ひとつとして、ARBの楽曲をカヴァーした音楽が、聴者に対してどのような印象を与えうるのかについて、考え直し、それを発表する論調は見られなかった。最もそれに近いものが、「宇野氏が〇〇という特徴を感じるのは理解出来ない」と云うコメントだろうか。

2012-01-16 03:09:42
たちばなあざらし @miroungaleonina

ARBの楽曲をカヴァーした音楽の性質、効果、それがもたらす印象は、そんなにも自明だろうか? 果たして自明だとしても、それを言葉に出来るだろうか? ……と、作品の批評というものは、まず基本的に、そこから始まってほしいのである。

2012-01-16 03:11:25
たちばなあざらし @miroungaleonina

そして、今回僕が心底厭になったのは、宇野氏のtweetを非難する連中が殆ど一人残らず、作品について等閑に付していたことだ。(togetterで批判を試みたのは、宇野氏への非難がどれだけ妥当であるかと云う問題に過ぎない)

2012-01-16 03:17:24
たちばなあざらし @miroungaleonina

例のやりとりに関しては、宇野氏は宇野氏で、作品と徹底的に向き合う気があるようには見えない。しかし、その非難者は非難者で、「批評家」という存在を叩くことに腐心して、やはりこれも作品について、批判的に考えてみようという気があるようにはやはり見えないのである。

2012-01-16 03:19:23
たちばなあざらし @miroungaleonina

これでは、例え批評家が宇野氏ではなかったとしても、作品批評が生産的になるはずがなかろう。宇野氏の言葉を契機にして作品について批判的に考え、それを発表する論者があの場で表れなかった以上、仮にあの批評が充分に妥当であったとしても、それに対するレスポンスが生産的であろうとは思えない。

2012-01-16 03:20:31
たちばなあざらし @miroungaleonina

こと例のやりとりに関して、「批評家」という存在、「批評」という考え方は、完全に上滑りして本来見るべきものを何も見ていないと、僕は思っている。もちろん、僕自身が当の作品について論じられるだけの知識や音楽的素養を持ちあわせていないことも、また一層、非常に嘆かわしいことではあるのだが。

2012-01-16 03:22:39
たちばなあざらし @miroungaleonina

……というようなことを、僕は例のやりとりを経て切に思っている。もしも自分が自身を「批評家」の立場に置く機会があれば、自分がその作品を「批評しよう」とまで思わされた原因たる、その作品の魅力を、できるだけ真摯な言葉にできるよう、まずは腐心できるような「批評家」でありたい。

2012-01-16 03:29:39
たちばなあざらし @miroungaleonina

その作品が何年的だとか誰其的だとか、そういうことを「知っている」のは勿論「よい批評家」の前提ではあるだろう。何も知らない人よりも妥当な批評が出来なければ当然「よい批評家」とは言えない。だが、例えば、「その作品が〇〇年に出来た」ということが、「その作品の特徴」に先んじてはなるまい。

2012-01-16 03:31:19
たちばなあざらし @miroungaleonina

或作品に或特徴を覚え、それを分析して言葉にして、類似関係などから「A年的」だとラベリングしたとしよう。しかしながら実際の作品が「B年作」だったとして、先の主張を取り下げるのなら批評家失格だ。堂々と論拠に依って「B年作だろうが関係ない、A年的と考えられるのだ」と言い切ればよい。

2012-01-16 03:33:25