佐藤正美Tweet_20120101_15

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佐藤正美 @satou_masami

エンジニアは最初、現実的事態に向かって ため息をつく。論理が「構造」を作るのではない。「構造」が論理をもとめるのだ。

2012-01-01 02:25:35
佐藤正美 @satou_masami

「概念」は、いつでも混沌としていて、いつもこれから「意味」になる。「概念」がひとつの「意味」を持つには、いつも「形式」を与えられたとき、そしてそのときに限る。そして、「形式」が目的を持たないところでは「概念」は「意味」を持たない。

2012-01-02 00:47:13
佐藤正美 @satou_masami

「論理」は、われわれの脳髄の中にある。同時に、「論理」の使用をはばむ もろもろの魅惑的概念もまた、われわれの脳髄の中にある。「概念」は「論理」よりも われわれを酔わせる。「概念」が静まった時、「論理」が来る。

2012-01-02 00:55:46
佐藤正美 @satou_masami

「論理」は無色透明であるが、思考のなかで両刃に作用する──有益にも有害にも。有害な時には、いつも、使いかたが足りないか使いかたが間違っているかのいずれかである。半端な「概念」と半端な「論理」、エンジニアから観れば「もやもやコンピューティング」として映る。ERD を観てそう思う。

2012-01-02 01:12:42
佐藤正美 @satou_masami

フランスの或る批評家は次のように言った、「人間の価値はダイヤモンドのそれと同じであって、大きさ、純粋性、完璧さの一定の範囲内では値段が固定し、示される。だがこの範囲をこえると値段がつけられず、買い手がけっしてつかない」。ウィトゲンシュタイン氏の「哲学探究」もそうなのでしょうね。

2012-01-03 04:29:18
佐藤正美 @satou_masami

モデルほど非現実的で、また現実的なものはない。その非現実性に依り自由に構成でき、その現実性に依り われわれは事態の「意味」を知る。現実的事態は、その論理のとおりの「形式的構造」になる。「事実」(あるいは、その意味)を知るには、たった一つしかない。それは、その構造を知るしかない。

2012-01-04 06:29:11
佐藤正美 @satou_masami

事態の存在を正当に構成する術を知ることこそ、エンジニアたりうる意識ではないか。

2012-01-04 06:30:01
佐藤正美 @satou_masami

「論理」── 臆するにあたらない。一種のルールだ。

2012-01-05 06:15:59
佐藤正美 @satou_masami

あとになってけっして思い起せないというような概念地図は、きっと、モデルになっていない。

2012-01-06 09:55:43
佐藤正美 @satou_masami

定かなる構造には「概念」鮮やかに従う。

2012-01-06 09:56:27
佐藤正美 @satou_masami

モデルでは、構造が正しいか正しくないかってことが大切なんです。本当か嘘かということが大切なんです。わかりやすいとか難しいなんて問題じゃないんです。ゲーデル氏の論文を読んで、そう思う。

2012-01-06 09:57:27
佐藤正美 @satou_masami

コンサルタントは、答えることができるよりも聴く(傾聴する)ことができるほうがよい。だれでも他人(ひと)から聴く話よりも自分の ことば(考え)のほうにいっそう満足するものだから。

2012-01-07 05:34:04
佐藤正美 @satou_masami

コンサルタントは、答えることができるよりも聴く(傾聴する)ことができるほうがよい。だれでも他人(ひと)から聴く話よりも自分の ことば(考え)のほうにいっそう満足するものだから。

2012-01-07 05:34:04
佐藤正美 @satou_masami

「経験」は自信のない連中の与する最も安全な囲いである。なぜなら、誰も他人(ひと)の経験を否定できないのだから。だが、我々はいささかも他人の経験なんぞ親身になって聴いてはいない。なぜなら、それを実感できないから。そして、他人の経験より他人の ことば に多くの注意を払っている。

2012-01-07 05:34:29
佐藤正美 @satou_masami

「経験」は自信のない連中の与する最も安全な囲いである。なぜなら、誰も他人(ひと)の経験を否定できないのだから。だが、我々はいささかも他人の経験なんぞ親身になって聴いてはいない。なぜなら、それを実感できないから。そして、他人の経験より他人の ことば に多くの注意を払っている。

2012-01-07 05:34:29
佐藤正美 @satou_masami

現代は「論理」がやや不当と思われるほどにまで重視されている時代であると思う。「論理」さえあれば事態のほとんどを説明できるという過信が蔓延し、一般におしゃべりになったようだ── 人の「精神」までも颯爽と簡潔にパターン化してくれる(苦笑)。

2012-01-08 04:10:29
佐藤正美 @satou_masami

真偽は論にあり、事態は あるがままである。

2012-01-09 07:59:17
佐藤正美 @satou_masami

おそらく、「論理」の真に「論理」らしい特性は、「真」を書き下ろす力(ちから)にあると思う。

2012-01-09 08:01:19
佐藤正美 @satou_masami

から回りする思考は、宙で回転する電動ノコギリのように危険な事態である。しかし、本人いっぱし考えていると思っている。

2012-01-10 08:20:13
佐藤正美 @satou_masami

TM(T字形 ER法の改良版)の平凡な点は、「数学基礎論」のモデル理論(Theory of models)をこれだこれだと振り廻している点にある。こういう平凡事に憑かれたエンジニアがベスト・プラクティスやエレガントなパターン群などに興味を抱くはずもない。

2012-01-11 05:13:45
佐藤正美 @satou_masami

もっとも私の振り廻したものはつねにモデル理論ではなかった事は R{resource, event} の文法を観ればわかる事だが、それはともかくゲーデル氏の厳(きび)しい論文を読めば、entity がどうの、クラスがどうの、と専門家面などできない、白々しくって。

2012-01-11 05:14:47
佐藤正美 @satou_masami

事業分析の概念図をモデルのように思いたがるのは、構造的意識を持って事業的事態の全体像を把握せよとか、事業の中で要となる物を考えよ等々と「概念」好きな連中の美辞麗句が耳障り好いからだ。「概念」は風船玉である。「事実」で以て ちょっと突いて炸裂してしまうものなら、ただの幻想である。

2012-01-12 02:15:29
佐藤正美 @satou_masami

独断的な人とは、自分の抱く「概念」を現実的事態に対して強要することによって自己を感じる。この種の人にとっては、自分の「概念」は一つの型であり、これによってその人は自己の力の強さを感じ取る。しかし、その才識は竟に一つの欠点となるものだ。なぜなら、「現実」は常に変化するのだから。

2012-01-12 02:16:38
佐藤正美 @satou_masami

豊富な現実を形式化するのなら、あたりを見回してはいけない。まっすぐに事実を観なければならない。そうすれば、私概念(先入観)は遠退き、落ち着いて構造を観ることができる。だが、あたりを見回したら、そうしたら様々な噂話が耳に入ってきて戸惑ってしまう。

2012-01-13 11:56:53
佐藤正美 @satou_masami

「概念」の弱点は、同じ対象に関する印象でも、人により、年齢により、時間によって、それぞれまったく違うという点にある。自分で作った概念や他人から聴いた言説が、ほんとうの世界を覆ったり歪めたりしている。bias の こびりついた私概念を正してくれるのが「論理」である。

2012-01-13 11:57:26