ファミコン通信・PCエンジン通信編集者 スタパ齋藤さんと桃栗さんの思い出話
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なんかのゲームで、目玉の姿をしたボスキャラと戦っている画面写真があり、そのキャプションに「目よ。目ね。目だわ。目だな。目かよ。目ですね。」みたいな手抜きの原稿を書いたのだが、スタパさんはそれを読んでワッハッハと笑って採用してくれたのだった。
2012-01-21 19:54:12原稿の書き方や、その他モロモロを教えてくれたのはスタパさんと渡辺さんだと思っている。あと浜村さん。PCエンジン通信以外の原稿をチェックするのは水野店長だったけど、店長からもあまりボツを出された覚えはない。
2012-01-21 19:56:48しばらくするとPCエンジンが人気出てきて、ズビズバ新聞が付録につくようになった。あの楽しい新聞を作ったのはスタパさんだ。私や渋谷くんは「ここ書いてね」と言われたところだけを書いていた。ズビズバというネーミング、あのオモロおかしい雰囲気はすべてスタパさんのセンス。
2012-01-21 20:00:14桃栗が活躍し始めた頃は、ファミコン系ゲーム全盛期。しかしそれを伝えるメディアはそのスタイルにおいて硬直しつつあった。「撃ちまくれ!! 爽快だゾ!!」とか「アイテムをゲットしてまだ見ぬ世界を!!」みたいな、糞かったりいし陳腐なキャッチフレーズだらけ。沈殿していた。
2012-01-21 22:33:40ゲーム情報を伝えるだけではメディアとして限界がある……というとカッコイイけど、メディア制作側として飽きてきた、ので、作る側も読む側も楽しめるものを作りたい!! とか、中学生な勢いで思ったわけですな。
2012-01-21 22:35:54そこで新聞スタイルの雑誌付属冊子など作ったりしたら、ウケた。桃栗も、ゲームマスターの渋谷くんも、物凄くイキイキしていた時期だと記憶する。毎日徹夜だったけど、毎日楽しかったように思う。
2012-01-21 22:38:03私の書いた原稿をチェックして、スタパさんはよく笑ってくれた。ダメなときは「こうじゃなくて、もっとこうしましょうか」と優しいアドバイスをくれた。
2012-01-21 20:03:34渋谷くんは、原稿巧かったなあ。ゲーマーだったし、ゲーマーを知っていたからか、的確な「単語」を一発でキメてきた。生粋のゲーマーでありゲームライターだったように思う。
2012-01-21 22:39:50桃栗は、正直、あったま来るほど「私の価値感とかけ離れたテイストの原稿を上げてきてアッタマ来た」のであった。おまえ何回注意したんだよ、商業誌で公開できる内容かコレ、的な、
2012-01-21 22:41:24でもまあ、つきあいも長いもんで、そういう原稿になるのは、なかばわかっていた。桃栗先生におかれましては「目の前に居るヤツらを最大限に楽しませる」という行為であってエンタテインメントなのである、原稿は。
2012-01-21 22:43:15スタパさんとか渋谷くんとかが笑ってくれたらいい、とかいうニャわいい心意気を感じてしまいがちなので、「桃栗、ここちょっとだけ直しちゃおうか」的にキビシくできにくかったと言えよう。
2012-01-21 22:45:12人間関係で悩んでいたとき、朝出社してみると、自分の机の引き出しに手紙が入っていたことがある。「桃栗ちゃん、元気出してネ!」「オレたちは桃栗の味方だぜ!」……スタパさんと渋谷くんからの励ましのメッセージだった。本当にメンバー全員 仲良しだった。
2012-01-21 20:06:25桃栗は天然的にニャわいいし、よく見ると若干太めだけど中山美穂に近い美人だよね~、的にニャワいがっていたからか、編集部の女子からイジメられたりしたのであった。
2012-01-21 22:47:41編集部いちの美女のお姉様こと安田さんに相談したところ「桃ちゃんは男好きするタイプだから妬まれるかもね~」と。そういった微妙な件に関しては対処できない渋谷くんとボクなので、応援することに。
2012-01-21 22:49:37さあ応援しよう桃栗を!! と声を合わせたものの「どうやって?」と声が合ったので、それぞれ応援の手紙を書くことに。その内容の全貌は、桃栗だけが知るところ。ぼくらヤボな男は、ふりかえず、です。
2012-01-21 22:51:56普通のゲーム紹介記事を何度か書いて経験を積むと、次のステップとして「一般記事」と呼ばれていた全4ページを任されることになる。企画も執筆もすべて自分で考える。台割に「一般記事 桃栗」と書かれたのはいつだったろうか。
2012-01-21 20:10:16企画を考えて編集長に見せ、OKをもらえば記事になる。私は「ゲーム業界の秘密」と題して、変な図鑑風のバカ記事を書いてみたいと思った。イラストは石原豪人先生にお願いしたい。そのときにも相談に乗ってくれたのはスタパさんだった。
2012-01-21 20:13:04大仁堂ビルの受付フロアーにあったテーブルセットに座って、「じゃあこうしたらいいんじゃない?」「こう書いたらもっと面白くなるかも」と長時間いっしょに考えてくれた。
2012-01-21 20:15:12でも残念ながら、豪人先生にイラストを依頼するという願いは叶わなかった。編集長が「だって劇画の人でしょ? そんなのダメダメ!」と言って許してもらえなかったのである。イラストは他の方(この方も実力派)にお願いした。
2012-01-21 20:19:56実力派の方のイラストだったが、やはり豪人先生にお願いできなかったのは残念で仕方なかった。いまでも悔やみきれないほど。私がファミ通をやめて渡米してるころ、ファミ通に豪人先生のイラストが使われていたのを見つけたときは悔しさでブッ倒れるかと思いました。
2012-01-21 20:21:58そう言えば、桃栗は何かにつけて「あの有名人に記事(イラスト)を頼みたい」とか言っていた。ぶっちゃけ、自分がファンだった有名人と会いたいだけだったと思う。
2012-01-21 22:55:04実際そうで、「会いたいだけなんでしょ?」とか言うと「ウフフン、そうなの~」とか、糞ふざけたリアクションが。プロ意識が希薄でありかつテキトーなところも桃栗の魅力ではあるが、これは私のさらに上層部の大きな心配でもあったであろー。
2012-01-21 22:57:19石原豪人先生にエロいイラスト描いてもらいたかったのに~とか言いつつ渡米してしまった桃栗さんは、その後、文才とかイロイロ発揮することないのかな~的な日々を送っていらした。
2012-01-21 22:59:45実際、ハワイとかに行ったきりだった桃栗さんは、単なるハワイ主婦となってメディアになぞ全然露出せぬ生活を送っていた。んも~、結婚したら完全隠居かよ~、とか思ったり思わなかったりした。
2012-01-21 23:02:43