- sakuhinsha
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予告:四夜連続シリーズ「テクストを客観的に読むということ」宮沢賢治「オッペルと象」篇、いよいよ今夜スタート!さらに多くのみなさまのフォローをお待ちしております;)なお予め宣言しておきますが、方法論、今回はナラトロジーのテクニックを使いますw よろしくお願いいたします。
2012-01-22 17:15:04先日こちらのtweetにサンタマリア、と書いたため、もちろんこれは賢治ですのでw気になって検索し、久々に「オッペルと象」賢治のナラションを堪能しました;)ところが同時に、この短篇の最後の一文が*謎*としてネット上であつかわれていることを知り、ああ、なるほどなぁ…と思いました:P
2012-01-23 01:10:03「オッペルと象」http://t.co/0RXYqpDh 最後の一文は「おや、川へはいっちゃいけないったら」懐かしいですね;)例によってw賢治がここで*いいたかったこと*はなんなのか…もちろん僕にはそれは判りません。僕は賢治じゃありませんから、そんなの判るわけないんですw
2012-01-23 01:15:06賢治がここで何をいいたかったか…それはイタコに頼むなどして賢治本人に訊くしかありませんw でも賢治が、この一文をこの作品の最後に措いた意図は、もちろんふつうの意味でさまざまに理解できます。それは単純に、文章を客観的に理解すると…という問題だからです;)
2012-01-23 01:20:03しかし検索上位に上がってきた*解釈*にクラッとしましたww 日本の国語教育の迷走の、あるいはこれは*被害*(笑)なのか…たとえば、これは余韻を残すことを意図した修辞的な終わり方である。象が再び川へ行きおなじ過ちをくりかえす円環的な時間構造を示唆している…(笑)
2012-01-23 01:25:03深い悲しみから、象が入水自殺をしようとしている、というものまでありました(笑)テクストをまず第一に客観的に読めば、こういった*念力*的な(?笑)*解釈*は出てくることはないだろうし、客観的に、合理的にみれば、全て間違っている、と考えることができます;)〜明晩へつづくw
2012-01-23 01:30:07「おや、川へはいっちゃいけないったら」この最後の一文で、賢治が意図した、表現しようとしたことは、何か。…この一文はなくても意味が通じるから本来はなくてもいいのは明らかだ、と書いていた人もいましたが、とんでもない(笑)賢治はトップクラスの作家です。無駄な文を措く理由はないし、
2012-01-24 01:25:05この文があっても意味が通じてないらしき読者も現にいるわけですから(笑)…客観的に確実にいえること。まずA案としては(笑)この最後の一文は、この作品の世界像を明示するものだということです。それはこの物語の語り手が*作品の世界内にいる語り手*で、この作品の語りのなかにひとつ語りの場が
2012-01-24 01:30:22作品内の語りの場として存在している、という世界像です。冒頭の、牛飼が語る、という副題によって提示された世界像を最後にもう一度確認しているのです。同時にこれは昔話の語りの最後に措かれる、お話はこれでお終い、という記号とおなじです。物語の時間は終わり、ここからは現実の時間だよ、
2012-01-24 01:35:07というサインです。そこまでふくんだ語りの場を作品のなかに再現した、ということです。そしてこの物語の場も物語の時間も、そして最後の物語後の*現実*の時間も全て作品世界のなかにある…というのがこの作品。それを明示することが、まずテクストから客観的に読みとれるこの最後の文の役目です。
2012-01-24 01:40:07シリーズ「テクストを客観的に読むということ」RTして下さったみなさま、どうもありがとうございます。日付が変わりまして、いよいよ第三夜。じつは今夜が問題で(笑)ナラトロジーを教科書的に使います;)
2012-01-24 22:46:24「ナラトロジー? なんでコミュニケイション理論なんだ、ノン・コミュニケイション理論はどうした!?」というお声もあるかもしれませんが(笑)とにかくナラトロジーは所謂*枯れた*テクニックですので(笑)とりあえず今回のところはこれで行かせてください。。。では改めまして、深夜に!;)
2012-01-24 22:50:11…物語のなかに語りの場がある、ということは、物語内の聞き手がいる、ということです。つまり牛飼は、読者にではなく物語内の聞き手に向かって話している…これが客観的な読みA案wです。その語りの場に、もちろん白象は…いませんよね? 「オッペルと象」http://t.co/0RXYqpDh
2012-01-25 01:30:18白象本人(?)を前にして、白象自身の物語を語っている、という作品世界を示したいというのが賢治の意図だったとしたら、作品内で語られる物語の語りのなかに、主役兼聞き手として白象自身がその語りの場に居合わせている、ということを賢治が明示しなかったわけはありません。
2012-01-25 01:35:04そこを伏せて最後をサプライズにしたんだ、と考えることもできません。なぜなら、もしそのサプライズが有効だと判断してその効果を求めていた場合、賢治は逆に、最後の一文が、明らかに、誤解なく白象に語りかけられている、白象がそこにいたんだ!とむしろ確実に判るよう明示したはずだからです。
2012-01-25 01:40:05白象が最後にいた!と考えた方がおもしろい、と思う人はいるかもしれませんねw でも問題は、賢治のテクストからそう読む客観的な根拠があるか、ということです。いなかった、といえる根拠はあるでしょう。でも、いた、といえる根拠はありますか? もしあれば、それはテクストのどの部分でしょう?
2012-01-25 01:50:04さて、そろそろファイナル・コールです;)テクストを客観的に読むということ〜『オッペルと象』篇、最終第四夜。*白象同席説*の根拠、今回は提案、なかったようですが。。。締め切りはありませんw いつでも twitter http://t.co/FVvjiREV
2012-01-25 23:10:03FBページ http://t.co/q84zDiTj またはサイト http://t.co/LnmpngeS にぜひお願いいたします。では最終夜。再び、深夜に。。。
2012-01-25 23:12:39この作品内の「語りの場」に白象は居合わせていません。従って、最後の一文の呼びかけの対象が白象、という読みは賢治の明示している世界からは外れてる、つまり賢治の排除した理解だといえます。…物語のなかに独立した語りの場があり、物語内の語り手が、物語内の聞き手に物語をする。この構造から
2012-01-26 01:35:07どういう効果が生まれるか。たとえば、その物語内の語りをこっそり聞いている、語りの場をこっそり覗いている…そんなふしぎな印象を与える効果です。これが客観的にいえる著者の意図のひとつです;)さて、ここまで客観的に読めば、あとは何を考えても自由です。そこには正解も不正解もありません。
2012-01-26 01:40:05…というわけで、シリーズ・テクストを客観的に読むということ「オッペルと象」篇、如何でしたでしょうか?;)もちろんこれは、事前にもお断りした通り、ナラトロジーを(無難にw)使った客観的な読み方A案、です。ナラトロジーを*攻撃的に*使ったB案、ノン・コミュニケイション理論を使ったC案
2012-01-26 01:45:07日本の物語理論を使ったD案、などなど…客観的な読み方はいろいろできます;)客観的ということは、つまり論証可能で、反証可能、ということです。(方法論の宣言は、反証可能性を保証するために不可欠…ですねw)決して退屈な読み方、じゃないですよ;)
2012-01-26 01:50:04では、おつき合い下さったみなさま、ありがとうございました。今回は、これにて、ドロン…w(Thanks to『宮沢賢治童話大全』 http://t.co/CzlejlrW )
2012-01-26 01:55:05