- rekiliech_bot
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それで今日はリヒテンシュタイン家とリヒテンシュタイン家の方々についてお話しようと思っているんです、よろしければお付き合い下さいまし。
2012-01-23 22:13:30こほん…え、えーと、まずリヒテンシュタイン家の名前の元となったのはウィーンの近くにある城なんです、12世紀にフーゴという方が城主の娘のハデリヒという方と結婚し、城と同じ家名を名乗るようになったが始まりです。
2012-01-23 22:15:0913世紀頃には騎士詩人として名を残した方もいるんですよ、ウルリヒ・フォン・リヒテンシュタインという方で、森の中で鳥が歌い、花が美しく咲いている…という内容の素敵な恋愛歌を残しています。
2012-01-23 22:18:48さて、それから時は流れて1608年、リヒテンシュタイン家は神聖ローマ皇帝フェルディナント2世により侯爵の称号を与えられます。
2012-01-23 22:20:21公爵家の初代となったのがカール1世でした、チェコのプラハにあるリヒテンシュタイン宮殿はカール1世によって建てられたものなのですよ。
2012-01-23 22:21:18そのカール1世の孫がハンス・アダムという方です。ハンス・アダムは帝国使節議会に参加可能な地位を求め、1699年にシェレンベルク男爵領を、1712年にファドゥーツ伯爵領を購入し、現在のリヒテンシュタイン公領にあたる土地を得られた方なんです。
2012-01-23 22:22:49ハンス・アダムの死後、土地とリヒテンシュタイン公の称号はヨーゼフ・ヴェンツェルを経てアントン・フロリアンの手に渡ることとなります。ヨーゼフ・ヴェンツェルにとってこの土地はあまり魅力的ではなかったそうですので…
2012-01-23 22:24:40当時のハプスブルグ家・神聖ローマ皇帝カール6世によって、この二つの公領を纏めて領邦国家とすることを認められたのです、1719年1月23日…これがリヒテンシュタイン公国の始まりです。
2012-01-23 22:26:26何故カール6世がアントンの土地を国家として認めたのか、それはアントン・フロリアンがかつてカール6世の教師を務めていたことがあり、その功績が認められたことによるものだったとも言われています。
2012-01-23 22:27:37フランスさんとの戦いでボロボロになった国民のために自分の資産から無償での生活資金を貸し付けを行った方で、『善良侯』の愛称でリヒテンシュタインの民からとても愛されていたんですよ。
2012-01-23 22:30:07そして現在のリヒテンシュタイン公がハンス・アダム2世です、執政権は2004年に長男のアロイス公子に譲っており今は元首としての地位のみを保有しています。
2012-01-23 22:34:342008年時点で欧州の君主のなかで所有資産が約50億ドルで第一位となっているんですよ、ちなみに第二位はモナコのアルベール2世だそうですわ。
2012-01-23 22:36:32現在リヒテンシュタイン家は電力会社、不動産、ワイナリーの所有、山林管理など幅広い事業を手掛けているんですよ、せっかくですのでそのいくつかをご紹介したいと思います。
2012-01-23 22:38:17リヒテンシュタイン国内にもありますけど、ウィーンにも『Palais Liechtenstein』という大きい美術館がありますわ。ウィーンの離宮を回収して2004年に開館したんです。
2012-01-23 22:40:45ここでの見どころはそうですわね…『バドミントンキャビネット』というものがありますわ。装飾のとても美しい大きな箪笥なんです。これはイギリスさんの所の公爵の注文を受け、フィレンツェの職人さんが30人がかりで6年以上かけて制作したものなんです。
2012-01-23 22:42:47バドミントンキャビネットは世界で最も価値のある大型箪笥と言われています。これは2004年のクリスティーズで38億円で落札したものなんですよ。
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