「ミステリ」について少し考えを進めてみる(除雪しながら脳内円卓会議)。
(みす2)『「本格ミステリ」を論ずる前に「ミステリ」を論じよう』(http://t.co/UHDIZOup)と『「後期クイーン的問題を正面突破せよ」に刺激され、少しつぶやいてみる。』(http://t.co/VsA1v34F)でも触れた「目的の手段化」について。
2012-01-29 20:14:58(みす3)『不明・不詳なモノ・コトが明らかになっていく「動的過程」を手段ではなく目的とする物語』という考えを進めてゆくと、「ミステリ」とは従来の「文学」が「目的」としてきたモノを「手段」に、「手段」だったモノを「目的」にひっくり返すジャンルではないかということだ。
2012-01-29 20:15:18(みす4)例えば「日記文」で書かれた「ミステリ」を考えてみる。そこで行われていることは、従来の「文学」が「目的」としてきた「日記の内容」の「手段」化と「手段」であった「日記文」の「目的」への変換であろう。
2012-01-29 20:15:33(みす5)この場合「日記の内容」が文学サイドの評論家から激賞されたとしても、それは「ミステリ」としては「手段」を評価されたに過ぎない。肝心の「目的」である「日記文」の巧妙さが評価されなければ、作品の評価として甚だおかしなことになる。
2012-01-29 20:15:51(みす6)つまり文学サイドの評価ポイントは明らかにズレているのである。これには「ミステリとは何か」ということを突き詰めることなく、なし崩しに作品点数を重ねてきたミステリサイドの責任もあるのではないか。笠井氏には申し訳ないが、徒に書けば良いわけではない。
2012-01-29 20:16:09(みす7)また『ミステリの来し方行く末ぼんやり考えてみた』(http://t.co/9OJE2urq)でも触れたように、「ミステリ」の嚆矢をディケンズに対する「読者」ポーの「アンサー」と捉えた場合「作り手と受け手」の近現代的関わりが「ミステリ」を形成したモノといえるのではないか。
2012-01-29 20:16:29(みす8)ここには「作り手」と「受け手」の互換というひっくり返しがあるわけで、この2点の価値観の逆転・互換をもって「ミステリ」というジャンルを見つめ直してはどうであろうか?
2012-01-29 20:16:44(みす9)「ミステリ」の概念化などムリだと諦めたら、それこそ「試合終了」というか思考停止だ。これは甚だミステリらしからぬことではないだろうか? ここは一つ「考えたら、負けるなよ」(byドクター・ミラージ;久保寺俊作・最期の言葉)で臨みたい。
2012-01-29 20:17:10