memo: NNNドキュメント 「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして…」

2012年1月30日深夜0時50分放送 ( 一部のみ書き起こし )
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ala @w_ala

NNN「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして…」 http://t.co/6H19xQcy 第二幸成丸、新生丸、住吉丸…第五福竜丸以外に延べ992隻が6回の実験で被爆。アメリカは実験一年前に122の観測所設置 動画 http://t.co/x9pfWIj1 #hibaku

2012-01-31 23:19:00

一部書き起こし

ala @w_ala

ビキニ環礁アメリカ水爆実験で被爆した第二幸成丸の崎山秀雄船長は、操業の様子や線量を細かく記録していたが、その日記には人体や鮪の線量は書きとめられてなかった。その理由は…

2012-01-31 23:19:25
ala @w_ala

ビキニ環礁アメリカ水爆実験で被爆した第二幸成丸の崎山秀雄船長・奥様「わたしたちはしゃべりたくない。しゃべってもなんにもならない。漁協は公にされれば成り立たず魚も売れない、漁協は何十隻も抱えているから地域も成り立たない。補償よりも、今日明日の生活をどう守るかがさきだったのでは…」

2012-01-31 23:24:11
ala @w_ala

第二幸成丸の崎山秀雄船長・奥様「その時代は日本の国がやっと、自分でつかまり立ちができるかというような情勢でしょ、その柱は石炭・魚。あなた方(取材者)の思う感覚と全然違う、そんな中で私たちはこういう経験をしてきている。(いまの感覚で)違うといっても、その当時は」

2012-01-31 23:25:13
ala @w_ala

第二幸成丸の崎山秀雄船長・奥様「そういうことをおかしいと気付いている人もいて、“船員に補償がばければ”ということを考えた船員さんもいるかもしれないが、そんなことを口に出して言いでもしたら、船に乗れない時代でした。それだけは言っときます」

2012-01-31 23:26:33
ala @w_ala

第二幸成丸乗組員・有藤照雄さん「ずっと50年間自分だけで秘めて、こういう体験したこと、家族にも誰にも言わなかった、妹たちにも」、その後自分の経験を妻に打ち明けた。

2012-01-31 23:26:53
ala @w_ala

第二幸成丸乗組員・有藤さん奥様「米軍だってそんな実験をして、人体実験みたいなもんだよね、主人が放射能を受けてから、子どもも二人生まれている、何も子どもには具合が悪いとか白血球が少ないだとかそういうのは出ていないが、父親の遺伝で体のどこかに出るのではないかと私は死ぬまで心配だよね」

2012-01-31 23:27:38
ala @w_ala

 その年のアメリカによる6回の水爆実験で被爆した日本船隻延べ992隻。水爆実験から7ヶ月、日本政府は鮪の放射性物質測定を中止(厚生省“鮪類の検査中止に関する件”)、その4日後アメリカと以下書簡を交わす。 

2012-01-31 23:36:36
ala @w_ala

「表題:ビキニ被災事件の補償問題に関する日本側書簡) アメリカ合衆国政府は日本国政府が前記の200万ドルの金額を受諾するときは、すべての請求に対する完全な解決として受諾するものと了解します」(日米交換文 昭和30年1月4日) 日本円当時レートで7億2,000万円

2012-01-31 23:39:15
ala @w_ala

( そして、200万ドルの“完全なる解決”で、放射能物質測定もされず、その後、鮪は食卓にあがった )

2012-01-31 23:43:03
ala @w_ala

( またその補償費にしても、そもそも被爆したことを認められていない第二幸成丸乗組員の有藤さんらは、医療費などの支援を受けることはできない )

2012-01-31 23:51:11
ala @w_ala

“アメリカ・エネルギー省(旧アメリカ原子力委員会)の機密文書: 実験1年前に122箇所の観測所が設置、日本は三沢・東京・広島・長崎・嘉手納の5箇所”、野口邦和(日大)「世界的規模での汚染わかっていたはず。フォールアウトの影響調べているわけで、世界的規模だと承知していたんだと思う」

2012-01-31 23:57:27
ala @w_ala

“第五福竜丸の被爆から2年…アメリカは核実験再開、日本の漁船は汚染の広がるその海でマグロ漁を続けた”

2012-01-31 23:59:25
ala @w_ala

“ビキニ環礁アメリカ水爆実験で被爆した新生丸乗組員、岡本清美さん。事件から34年、1988年、救済を求め全国初の被災者の会、高知県ビキニ被災船員の会が発足(1988年5月11日)、岡本清美さんは代表世話人となった。”

2012-02-01 00:15:27
ala @w_ala

“議会に働きかけ、医師と連携、自分たちで健康調査を行う。被爆の事実を国に認めさせたい…”しかし生前、奥様の前で「これは成功せんで」と語っていた。

2012-02-01 00:17:41
ala @w_ala

岡本清美さん奥様「なぜかと取材者に聞かれ) なぜって、これは成功せんでしょう、国が相手だから。自分たちの力ではできないこと(解決は)。国相手に…自分たちがどう思っていても、なかなか」 「元気でいただけ幸せ、じきに亡くなった人もおるしね」

2012-02-01 00:18:51
ala @w_ala

 “ 被災船員の会はその後、船員の死亡が相次ぎ、解散を余儀なくされた ”

2012-02-01 00:21:13
ala @w_ala

“被爆船員の聞きとり調査などをはじめてから27年。当時高校教師だった山下正寿さんは、今もビキニ環礁水爆実験の事実解明・被爆者救済のために活動。被災した乗組員たちが、被爆者健康手帳を交付されるよう働きかけ。”

2012-02-01 00:27:06
ala @w_ala

山下正寿さん、全日本海員組合へ足を運んで…: 山下正寿さん「広島長崎以外でも、明らかにビキニ被災によって影響を受けた人に、原爆手帳を申請してくれと…こういうことは、ほとんど知られていないんで、ぜひ会員組合としても引き続き取り上げてもらえればと」

2012-02-01 00:28:49
ala @w_ala

(取材者「こんなにしんどい思いして、変わりますかね」) 山下正寿さん「やってみないと分からない、そんなに急に変わるなんて思ってはじめてない、ちょっとずつコツコツ穴をあけるようにせないけん」

2012-02-01 00:36:09
ala @w_ala

山下正寿さん「谷川でカニが穴をあける、赤い子のカニが堰を切るときがある。セメントで固めたものにカニが穴をあける、赤い子がセメントを破って穴をあける、そんなキモチで」「いずれ変わるときがくると思ってやらないとしんどくてできないね」

2012-02-01 00:36:29
ala @w_ala

被爆した第二幸成丸・崎山秀雄船長の奥様「そりゃいまでもそうやんか。(東電福島原発事故の)記者会見も、私たちが知りたいことと、あの人らが言うとることは違うように私は思うけど」

2012-02-01 00:45:39
ala @w_ala

第二幸成丸・崎山秀雄船長の奥様「(ビキニ環礁被爆を)私らがなんぼ話ししたって、(誰も)そんなの知らんこと、いつの時代にも弱いものにしわ寄せがくるというのは、いつの時代も一緒、いつの時代も一緒や弱いもんに…」

2012-02-01 00:46:24

ぜひ動画をっ

cf.