内田樹さん @levinassien による、平川克己さん @hirakawamaru の『俺に似たひと』の読後評

とても納得しましたので残しておきたいと思い、まとめさせていただきました。
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内田樹 @levinassien

平川君の『オレに似た人』の帯を書いてくれた名越先生と、この「私小説」の完成度の高さについて、その理由を論じあいました。介護を理屈で語れば理に落ちる。情愛で語れば情に流される。その二つのピットフォールを彼はどうやって回避できたのでしょう?

2012-02-01 23:34:57
内田樹 @levinassien

50年代の大田区の町工場の人たちの「共和的な貧しさ」と向日的な気分の「擁護と顕彰」のための理論的備えは介護経験の始まる何年も前から始まっていました。いわば「何も語らない父親」の歴史的位置づけは九分通り完了していたわけです。

2012-02-01 23:39:19
内田樹 @levinassien

その「神話的枠組み」が整っていたからこそ、食べものを用意すること、排泄の世話をすること、お風呂に入れること、病苦を緩和すること、といった具体的な細部を非情緒的に書き込むことができた。枠組みが堅牢であれば、父子の情感によって共感を求めることを避けられる。

2012-02-01 23:46:08
内田樹 @levinassien

生々しいものであるはずの介護の経験が、生きている父親への、子の側からの「供養」として引き受けられからこそ、その記録は意外なほどの透明さと穏やさを持つことができたのではないか。

2012-02-01 23:53:23
内田樹 @levinassien

冒頭から終わりまで、平川君の筆致は全く乱れません。でも、それを「非人情」だととる読者は一人もいないでしょう。父親が老衰と死に吸い込まれる過程を一人の無名の労働者の「堂々たる人生」として、敬意をもって見つめている平川君の心の穏やかさが行間ににじんでいるからです。

2012-02-02 00:01:13
内田樹 @levinassien

この「小説」は独立した文学作品ですが、この「小説」を書くために、平川君は『移行期的混乱』をはじめとする「日本資本主義分析」の作業を黙々と続けていたのだと僕は思います。自分の知的営為をそのまま「子としての供養」に接続させることで平川君は「父たちの無言」に敬意を示した。

2012-02-02 00:08:21
内田樹 @levinassien

僕はそんなふうに思いました。

2012-02-02 00:08:56
内田樹 @levinassien

ごめんなさい!帯は小田嶋さんで、名越先生は読後コメントでした。

2012-02-02 00:14:26