東京ローカルとしてのユーミン、そして北海道の中島みゆき、ドリカム
- as_kakuichiro
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山本潤子さんは「ドルフィン」に行ったこと無かったのか(NHK「SONGS」)まあ山手のドルフィンとか、観音崎の歩道橋(「よそ行き顔で」)を探しに行ったりなんてのは、ミーハーなファンのすることだよね。あと、カンナの花が揺れて咲いてた(「カンナ八号線」)のはどの八号線? とかも。
2012-02-02 02:17:40思えばユーミンの歌って、元々はそんなふうに東京ローカルな感じが色濃かったのに、それこそバブルの頃から、妙に大風呂敷になっちゃった。もちろんそれは普遍化でもあるわけだけど、それは漠然とした世代や世相を輪切りにしてはいても、東京にカメラを固定したシンパシーは薄れてしまった。
2012-02-02 02:24:42私は還暦ですが。友人らとリアルタイムでドルフィンに行きましたし、雨の街を歩きましたし、中央フリーウェイも飛ばしたし小さなバイクを止めて風を見送り飛行機雲を眺めてました。@as_daisuke 山本潤子さんは「ドルフィン」に行ったこと無かったのか(NHK「SONGS」)
2012-02-02 02:23:51僕がユーミンの東京目線を意識するようになったのは、やはり彼女と同世代の東京の人たちとの交わりの中からでした。QT @bindeballe リアルタイムでドルフィンに行きましたし、雨の街を歩き── QT @as_daisuke 山本潤子さんは「ドルフィン」に行ったこと無かったのか
2012-02-02 02:32:47そしてもちろん僕も、ユーミンの世界をなぞり、ドルフィンや観音崎に出かけたミーハーの一人だった。そして、横浜や湘南が登場する彼女の世界は横浜ローカルではなく、東京から第三京浜で足を伸ばした場所、というのは、東京というか、特に世田谷に住んでみて、初めてわかった部分も大きかった。
2012-02-02 02:41:16@bindeballe 三多摩から立教女学院に進学した人が、彼女へのシンパシーを色々と口にしていたのを思い出します。あと、僕は完全に後追いで聴くようになった口ですが、それでもやはり、ユーミンは苗場や神戸に出張するようになり、プロダクトになっていったのだなと感じました。
2012-02-02 02:49:10@as_daisuke なるほど。彼女は多摩美出身で呉服屋だかの娘。八王子だったかな。行動範囲が都内と隣の神奈川に限られていたんでしょう。僕らは川崎市民。ユーミンの音楽は「ひこうき雲」以上のものはないと思います。ジョージ・ハリスンがサムシングで才能出し切ってしまったような感じ。
2012-02-02 02:44:16ユーミンの歌は、やはり言葉選びがよかった。それとはっぴいえんどやティンパンアレィなどとつながっていたことも僕らの関心事だった。中島みゆきは大げさな歌がいつもグランプリをとるヤマハポプコン出身だったし、やや歌詞が田舎くさかったので、僕らの仲間はあまり聞かなかったなぁ。
2012-02-02 02:35:48僕は北海道出身なので、中島みゆきの“田舎くささ”にもシンパシーがああります。「悪女」以前の彼女には、極めて北海道的というか、札幌的なものを感じます。QT @bindeballe: 中島みゆきは大げさな歌がいつもグランプリをとるヤマハポプコン出身だったし、やや歌詞が田舎くさかった
2012-02-02 02:45:43中島みゆきさんの「時代」とか「あざみ嬢のララバイ」は20歳前後の我々にはとてもよりそえない歌でした。でも「この空をとべたら」あたりから聞くようになりましたね。松山千春さんにもそんなとこあるんでしょうか?RT @as_daisuke極めて北海道的というか、札幌的なものを感じます。
2012-02-02 07:54:38正直、あまり感じたことがありません……北海道の各地域の距離感の大きさのせいなのかな。RT @bindeballe: 松山千春さんにもそんなとこあるんでしょうか?RT @as_daisuke極めて北海道的というか、札幌的なものを感じます。
2012-02-02 11:21:46ユーミンの世界の横浜や湘南(via 第三京浜)は、あたりまえだけれどCKBの横浜、横須賀とは全然違う。そして、サザンの湘南とも全く違う。でも、普遍化というか、拡大再生産や膨張を経たユーミン的世界から、東京視点が失われてから、もう随分時間が経ってしまった。
2012-02-02 03:00:09@as_daisuke みゆきさんは心の奥底の「心情」を歌うのが上手く、ユーミンはだれにでもありそうな「シーン(忘れ得ぬ思い出)」を、歌にするのが上手い気がします。前者は「別れ歌」、後者は「卒業写真」というところでしょうか。
2012-02-02 08:03:45@bindeballe 中島みゆきの、まさに心情とか情念、といったあたりに、北国の底にある暗さを感じているのかもしれません。北海道って、大陸的な開放感だけじゃなく、半年自転車に乗れない──みたいな閉塞感もまたありますから。
2012-02-02 11:25:20@as_daisuke ユーミンの曲には「裏の垣根の木戸を開け」とか「小さなバイク」とか「バスルームにルージュの伝言」とか、当時の普通の娘の会話にはもないフレーズがあってややハイソな感じがありました。確かに中島みゆきさんの曲には「自転車で駆ける」とかないなぁ。
2012-02-02 12:11:06そういえばドリカム、GLAYってあたりには全く北海道っぽさを感じない。マーケティングとしてそういう商売をしてない、っていうのもあるのだろうけれど、日本全国の何処でもが、同じようなロードサイド店に席巻されてしまったこととも無縁ではないような気がする。
2012-02-02 12:15:23@as_daisuke はじめまして!昔からのドリカムファンからすれば、吉田美和さんと言えば北海道 冬ってイメージです ね〜ドリカムって冬にまつわる楽曲多いんですよ。
2012-02-02 12:20:28@yama205 僕は北海道出身ですが、彼らの曲には「LAT.43°N」みたいに札幌そのものが舞台の曲があったとしてても、その“らしさ”みたいなものは薄い、なんて印象がありました。逆から考えると、そのイメージには、普遍化という昇華が加えられているとも感じています。
2012-02-02 12:31:37@as_daisuke ある音楽番組で出身地別売上ランキング で、北海道は一位がドリカム 二位がGLAYだった時に 吉田美和さん北海道の人には見えない。 歌のイメージもなんか違うようなって言っている人もいましたね。
2012-02-02 12:39:43@yama205 マーケティングとして、そういうことを“しないようにしている”という部分もあるのだろうな、と感じたりです。
2012-02-02 12:48:27@as_daisuke 吉田美和さんは北海道のライブの時はスゴく嬉しそうです。あまりテレビでは北海道の話とかしませんが コアなファンは北海道といえば吉田美和って思ってると(笑)GLAYも昔はよくテレビなどで函館の話をしてました
2012-02-02 12:56:27@yama205 ファンの方にとってはもちろんそうなんでしょうね……。僕は彼らと同世代で、それこそGLAYとは、函館の高校生として同じ空気を共有していたりもしますが、どうしてか距離感を感じていました。もちろん個人的な感覚の話なのですけれど。
2012-02-02 13:06:57@as_daisuke そうですね。ファンじゃないと…中島みゆきさんは、吉田美和さんと同じ高校でしたね。父が中島みゆきさんが好きでライブも一緒に行きましたが あまり北海道の話をしないみたいですね。
2012-02-02 13:16:27@yama205 中島みゆきに北海道のイメージが強かったのも、四半世紀以上昔の話だと思います。あと、北海道は地理的な隔離と乖離が、地域間に文化的差異を大きくしているのもあったりとか。ただ、中島みゆきは札幌に進学しているので、北海道的な意味での普遍化もされている部分はあるでしょう。
2012-02-02 13:37:19