【太閤殿下の御誕生日に詠める】 木枯しの 冬も過ぐべし 君在りて このはなさくや 瑞穂の国に #長束歌集 http://t.co/Gn5ZYKpi
2012-02-06 19:38:17(意訳:木枯し吹きすさぶ冬も、貴方様がお生まれになったので、早く過ぎるべきだ。ひょっとしたら貴方様お生まれになったことが、春を呼び、この日の本の桜の木に、花を咲かせておるのやもしれませんなあ!^^)
2012-02-06 19:42:36ま、今宵は軽く「苦笑」できる話だ。そう構えて聞いてくれんでも良い。たぐ……そうだな。 #長束苦笑話 …で、良いか。まんまだが……まあいいや(笑
2012-02-06 20:04:38俺が、あうぇいした、ずーっと後の話。徳川の治世よりも、ずーっと後…。ええと、明治?とかいう年号の頃だな。「芥川龍之介」という作家……現代で有名らしいな。彼の『僻見』という書物に書かれたものだ。 #長束苦笑話
2012-02-06 20:08:12『僻見』の中に、「岩見重太郎」という人物についての記述がある。…特に大坂の陣辺りに詳しいふぉろわあ達は知っているのだろうか。後に「薄田兼相」と名乗った武士…。まあ「岩見=薄田」は伝説で、全くの別人だというらしいが…。 #長束苦笑話
2012-02-06 20:13:58薄田殿の事について少し話しておくと、大坂の陣の最中に、砦を任されていたにも関わらず、肝心の戦闘中に遊郭に行っており、その砦を簡単に落とされてしまった。そのことから、見かけ倒しの「橙武者」と呼ばれるようになった。……っつー、なんとも…アレな話が有名なわけだが。 #長束苦笑話
2012-02-06 20:18:16まあ薄田殿…大坂方だし、名誉の為に言っておくとだな。その後の戦いで獅子奮迅の活躍を見せ、見事に散ったらしい。うん。豊家の為に戦ってくれたこと、感謝致します。 #長束苦笑話
2012-02-06 20:20:12と、まあそんな岩見殿(此処では本分に即して「岩見」の名で話すぞ)、芥川殿は大層お気に入りのようでな。「岩見重太郎は歴史に実在した人物よりもより生命に富んだ人間である」と。 …ふむ。まあ分かる。 #長束苦笑話
2012-02-06 20:22:47で。続き。「武者修行の出立ちをした重太郎の姿はありありと眼の前に浮かんでくる。が、正家は大男か小男か、それさへも我々にははつきりしない」 ……………。いや、まあ岩見殿の武勇は、講談なんかで話されているだろうしな。うん。次だ、次。 #長束苦笑話
2012-02-06 20:28:54「又かういふ関係上、重太郎は正家に十倍するほど、我々の感情を支配してゐる。」 ………俺だって、頑張ってる…。 つ、次…。 #長束苦笑話
2012-02-06 20:31:08「我々は新聞紙の一隅に『長束正家儀、永々病気の処、薬石効無く』と云ふ広告を見ても、格別気の毒とは思ひさうもない。しかし重太郎の長逝を報ずる号外か何か出たとすれば(中略)憮然たらざるを得ないだろう」 #長束苦笑話
2012-02-06 20:36:23もう… な ん だ こ れ …。呼んだ瞬間なんだこれ……だよ。岩見殿と格別付き合いがあったわけでもないのに比較対象に出され!!しかも散々言われ!!俺じゃなくてもいいじゃねえかよ!何で俺! #長束苦笑話
2012-02-06 20:40:47と、まあ冗談はさておき…否、冗談とも言えんが…。 もう意味が分からん上に此処まで言われると、苦笑せざるを得ませんでした。俺が一体、芥川殿に何したってんだよ…。 …っつー小噺(?)だ。 ご静聴どうも。そして誰か俺を慰めてくれ。(真顔) #長束苦笑話
2012-02-06 20:44:38