横田 めぐみさんと家族らのドキュメンタリー映画を都内で上映 めぐみさんの両親が講演 http://t.co/4K4TQrxX #FNN
2012-02-08 23:16:02横田滋さん
横田滋さん「最初は、誘拐事件として扱われ、新潟県警が捜査。何の手掛かりもなく、山形県県境までヘリコプターなどで捜査、1週間後公開捜査に。テレビの行方不明者番組に5回程でた、これは従来効果的で証言やその日の内に見つかること多いが、めぐみの場合は何の証言も手掛かりも得られなかった」
2012-02-08 13:48:55横田滋「現代の神隠し、果てはUFOかとまで言われた。他の事件が解決することで見つかるのではないかとも言われたが、何の手掛かりも得られず。めぐみが見つかるまで新潟にいたかったが、めぐみの双子の弟は小学校3年からいつの間にか高校3年に。進学・仕事の都合もあり東京へ。」
2012-02-08 13:51:10横田滋さん「1997年、橋本敦参議の秘書から電話があり、お宅のお嬢さんが平壌にいるとの情報。新潟日報には、朝鮮語をマスターしたら日本に帰してやる、しかし20歳になっても返してもらえないとわかり精神に異常をきたし、入院、バトミントンが好き…など、情報が出たが、これまでにも…」
2012-02-08 13:55:52横田滋さん「めぐみがいなくなって2ヶ月後身代金要求あったのだが、それは新聞報道に基づいたものだった。今回もそうかともあった、拉致問題など果たしてあるのだろうかという時代。めぐみの顔写真を明らかにするかなど、そういったことも考えなければならなかった」
2012-02-08 13:57:28横田滋さん「1997年(拉致から20年)、西村眞悟衆議が国会で初めて横田めぐみ拉致事案を取り上げた、これで新聞報道なども行われた。他にもカップル拉致など、それまで拉致のことはほっておかれ国交正常化交渉がされたが、めぐみの場合は実名を出したがために、日本人拉致を救う会・集会などが」
2012-02-08 14:00:19横田滋さん「そうした広がり、最初は新潟だけでだった。2002年、小泉総理訪朝で、4人生存、8名死亡、これまで政府が認知していなかった曽我ひとみさんの生存がわかった。死亡とされためぐみ、めぐみ以外はお墓があり、また家族皆が亡くなっていた、めぐみの場合は夫・娘は生存、本人のみ死亡と」
2012-02-08 14:04:19横田滋さん「曽我さん、最初は夫のジェンキンスさんが同意しなかったが、最終的には生存と言われた方、すべて日本に帰国。しかしその後進展なし。北朝鮮は“解決済み”としたが、平成16年日朝交渉、めぐみの遺骨、DNA2つ見つかったが、いずれもめぐみのものでないと判明」
2012-02-08 14:06:53横田滋さん「麻生内閣、民主党政権になっても一度も日朝交渉行われていない、金正日死去で喪に服すなどすぐに動きは見込めないかもしれないが、松原仁拉致問題担当相、これまでにも超党派での議員連盟など拉致問題精通、今後の北朝鮮の様子窺いながらも一日も早い拉致問題の解決を希望」
2012-02-08 14:10:01横田滋さん「それは人一人の問題でなく、国の主権にも関わる問題でもある。拉致問題自体、拉致への関心もない時代もあったが、本日こうしてお越しいただいているように関心お寄せいただいている、こうした皆さまの関心、何よりの力、一日も早い拉致被害者の帰国をお願いしたい」
2012-02-08 14:12:45横田早紀江さん
横田早紀江さん「みなさま、こんにちは。今日はたくさんの皆さまが拉致問題に関心お寄せいただき、ありがとうございます。こうして拉致問題に関心寄せていただくまでに15年かかった、平和な日本の国の中でおこった問題。日本からは想像もできない、非常に屈強な工作員を養成し送りこんできた北朝鮮」
2012-02-08 14:15:26横田早紀江さん「戦後の平和、自由な国として、これでよかったんだと思っていた中、本当に鮮やかに訓練された工作員により、拉致が行われた。めぐみがいなくなった家の角、警察犬がめぐみのパジャマの匂いを嗅ぎ探すも、そこで途絶えた、これまでにたくさんの警察の方々にお世話になった…」
2012-02-08 14:18:33横田早紀江さん「めぐみの遺体とされる照会があったときもあった、“お嬢さんは時計をされていましたか”、心震えたが、バトミントン強化選手、邪魔になるからおいていくわと言ったような気がして探すと、引き出しにある時計を見つけ安堵したこともあった。警察へと走らせた自転車、動転した日々も」
2012-02-08 14:21:15横田早紀江さん「一生それほど震えることのない程の震え、震えがとまらなかった。家の角で、手掛かりもなく、どうして姿を消したのかと、あらゆる手を警察も尽くしてくださった。畳をかきむしり浜辺を走り、雪山を…と泣き暮らしました。新潟は美しい街だが、桜が咲くのさえ苦しくて仕方がないように」
2012-02-08 14:24:32横田早紀江さん「日朝首脳会談、思いもかけない中で実現、蓮池ご夫妻、地村ご夫妻、写真でしか知らなかった人がタラップから非常に痩せて帰ってきた、本当にいたんだ、そんな想い。その後ろから曽我ひとみさん、非常に寂しそうにタラップを降りてこられた」
2012-02-08 14:26:07横田早紀江さん「朝鮮史、朝鮮語、物理…あらゆること教えられている中、一年後に曽我ひとみさん一緒になったと。めぐみちゃんは、“こんにちは”とやさしく声をかけてくださったんですよ、と、ひとみさんは教えてくれた」
2012-02-08 14:29:02横田早紀江さん「曽我さん、午後8時頃、お母さんと買い物に出かけていたときに男性3人に麻袋かぶせられて連れてこられた、めぐみもまた校門から友人と帰り、友人と別れもうすぐ家という角で男性に…と、禁じられていた日本語で話しなぐさめあったと」
2012-02-08 14:31:07横田早紀江さん「曽我さん、めぐみさんの絵、一枚でも持ち帰って差し上げたかったと言ってくださった。蓮池さん、海岸で“火をかしてください”と言われ、どうぞと差し出すと、いきなり殴りつけられ気を失い拉致。曽我さんは、必ずいつか日本の誰かが助けにきてくれると思い生きてきたと仰っていた」
2012-02-08 14:32:55横田早紀江さん「北朝鮮からの入院台帳など、信じられないような黒塗り情報。めぐみのことについても、いろいろ言う人がいるが、はっきりとした証拠、どこまでが本当かわかっていない。私たちが想像つかないような、一切情報が漏れてこない固い国がすぐそこにある」
2012-02-08 14:34:41横田早紀江さん「大切に育てた子どもが、信じられない人生を歩ませられる人が何百人もいる。親はこうして苦しみ続けても、なかなか情報は得られない。スイス、ジュネーブ、国連にお願い、ワシントンにも三度程お願いにも。ブッシュ大統領、“考えられないこと、この写真どうぞココにおき話を”」
2012-02-08 14:36:58