劇評についてのあれこれ

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萩原雄太 @hgwryt

ただ、これは発端であるけれども、今、僕の中では「僕と藤原さんとで捉え方が違いますね」という問題で済まされることではないかと思います @pulfujiko

2012-02-12 03:05:40
萩原雄太 @hgwryt

そこで、お伺いしたいのは、1劇評家の「役割」というのはどのように考えていますか? あるいは批評家の存在意義はどのようなものでしょうか? @pulfujiko

2012-02-12 03:06:16
萩原雄太 @hgwryt

この質問は、「問題は、肩書きや、固定化されたスタイルではなく、何を為すかです。5年後、10年後まで射程に入れた、重要な仕事というのは存在する」ということから聞いてみたいと思いました。 @pulfujiko

2012-02-12 03:06:37
萩原雄太 @hgwryt

それと、2「劇評を書く」あるいは「批評をする」という上で、最低限守らなくてはならないマナー・ライン・意識などはあると思いますか? あるとしたら何か @pulfujiko

2012-02-12 03:06:57
萩原雄太 @hgwryt

ご指摘の通り、僕の批評家に対する意識は憧れが少なからずありますが、限定はあまりないと思います。専業であろうがなかろうが、命をかけていようがいなかろうが、ナンパだろうが硬派だろうがそれはどちらでもいいのではないかと思っています。 @pulfujiko

2012-02-12 03:07:25
萩原雄太 @hgwryt

ただ、憧れを持っている以上、「紹介と感想」をして、劇評家とは言ってほしくないなあと思います。「家」である以上、ちゃんとあなたの「家」を見せてくれよ、と思ってしまうわけです。それが、僕の「限定」です。以上です @pulfujiko

2012-02-12 03:08:49
藤原ちから @pulfujiko

ゆうべは、あんま寝てなかったせいか、炎上明け?のせいか、話が楽しかったせいか、しこたま酔ってしまい、二軒目の飲み屋に荷物忘れて取りに帰ったっぽいし、終盤ほとんど記憶ないし、家に帰ってまったく着替えもせずに倒れてたみたいで、今ここにいます。

2012-02-12 07:47:17
藤原ちから @pulfujiko

昨日、徳永京子さんのトーク聴きにいって、それ自体がすごく面白かったけども、さらに打ち上げの席でいろんな方とお話できて嬉しかった。そこまではわりと記憶もあるし、なんかいろいろ率直に語り合える感じがよかったですね。

2012-02-12 07:53:41
藤原ちから @pulfujiko

以前、かなり手厳しい評を書いた劇団の方が来てて、でもその評が図星だったし奮起してがんばろうと思ってると言ってくださって凄く嬉しかった。書いてよかったとも思うし、やっぱ毎回真摯に書こうともあらためて思った。

2012-02-12 08:01:24
藤原ちから @pulfujiko

何か書く時っていつもその時々の読者はいちおう想定はしてるけど(媒体によっても変わるし)、でもそれと関係なく思わぬところに投壜通信的に届いてほしいし、そこにわざわざ「書き言葉」を使う意義もあるのかなと思う。

2012-02-12 08:15:53
藤原ちから @pulfujiko

クストリッツァの『アンダーグラウンド』はわたしも激推しします。大学のゼミでいきなり見せられて衝撃を受けました。10年以上経った今もその先生とは親交があります。@hgwryt

2012-02-12 08:45:13
藤原ちから @pulfujiko

劇評について云々語ることにはそれなりの意味があると思うし、後で諸々返信するかもですが、議論ってやつは幾らでも溺れられるので、明晰さを得ること以外の目的ではあまりそこに言葉を費やしたくないとも思っています。@hgwryt

2012-02-12 08:50:43
藤原ちから @pulfujiko

アンダーグラウンドについては、2年くらい前に鰰の劇評でも引用しました。若書きで直したいことだらけですが、とはいえ物書きとして書きたいことの核はもうここに書いちゃった気もしています。よかったら読んでくださいな。@hgwryt http://t.co/UbluC8yO

2012-02-12 08:54:13
藤原ちから @pulfujiko

ちなみに冒頭の「似ている……」は実は蓮實重彦へのオマージュです。これは分かる人には分かるし、でも別に分からなくても何の問題もないことです。@hgwryt

2012-02-12 08:55:59
藤原ちから @pulfujiko

質問へのお答え。まず2の劇評のマナーから。まずは「フェアネス」。知り合いだから手ごころを加えるとか最悪だし、求愛行動をしたければ私的なやりとりにすればいいと思う。もちろん密かに愛が込められていてもいいけど、やっぱパブリックに機能することを意識はしたい。@hgwryt

2012-02-12 09:22:26
藤原ちから @pulfujiko

それから「対象ありき」ということ。自分の論を展開したいために作品を利用する(無理矢理文脈にはめる)のはわたしは好きではないです。もちろん持論や思想があった上で、ある作品と出会うことでそれが開花することはあって、それは幸福な出会いだと思うけど。@hgwryt

2012-02-12 09:24:02
藤原ちから @pulfujiko

もうひとつは「記録」。書いたものは後々残るので、歴史的時間の中の今ここでこれを書いているという意識はわりとあるのかなと思いますね。後世の人に向けても書き残しているような。@hgwryt

2012-02-12 09:25:54
藤原ちから @pulfujiko

で、1の劇評家や批評家の役割や存在意義についてですが、すごく正直な(誤解を招く)言い方をすると、わりとどうでもいいと思ってます。@hgwryt

2012-02-12 09:28:35
藤原ちから @pulfujiko

というのはわたしは元々編集者だし、今でもそうだと自覚しているので、いろんなスタイルの書き手がいていいと思うんですね。百花繚乱、多種多様、なほうがいい。多様性があるほうが種は繁栄すると考えてます。@hgwryt

2012-02-12 09:30:14
藤原ちから @pulfujiko

ただし、冷蔵庫の中の腐ったリンゴは全体を腐らせかねないので、それは取り除きます。そこに対してわたしはまったく寛容ではありません。@hgwryt

2012-02-12 09:31:30
藤原ちから @pulfujiko

そもそも批評の歴史は不思議です。なんでこんなものが生まれたのか。そしてなんでこんなに面白いのか。思うに、批評とはミラクルでアメイジングな存在であり、(さっきの3つの条件を満たしてさえいれば)ヘンテコで全然オッケーだとわたしは思います。@hgwryt

2012-02-12 09:33:19
藤原ちから @pulfujiko

そして、ヘンテコな存在がいたほうが、場は活性化するし、種は繁栄します。わたしはいつも、寅さんや、ジャック・タチの描く「ぼくの伯父さん」のような存在を思い描いていますね。言うなれば「余計者」です。@hgwryt

2012-02-12 09:35:35
藤原ちから @pulfujiko

「余計者」だから嫌われもするだろうし、基本的にコミュニティには所属しないのだと思います。たとえどんなに仲が良く、楽しく酒を飲んだとしてもです。別にいなくてもいいけど、いたら楽しいし、種が繁栄する。それでいいのかなと思ってますね。@hgwryt

2012-02-12 09:38:00
藤原ちから @pulfujiko

あらゆるチャンスを利用して、世界を動かしているプログラムに変革のウイルスを侵入させること。それが批評の醍醐味ではないでしょうか。@hgwryt

2012-02-12 09:41:45
藤原ちから @pulfujiko

だから、最初の3つの条件さえ満たしていれば、劇評や批評はこうあるべき、みたいなのはわたしの中には全然ないんですよ。むしろそれは「機会」であり「動き」であり「異物」だと捉えています。@hgwryt

2012-02-12 09:40:24
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