ライトノベル作家・扇智史のバレンタイン短編「灯火のローズヒップティー」

>> 扇智史 ライトノベル作家。2003年、大学卒業の年に応募した第5回エンターブレインえんため大賞の小説部門で『閉鎖師ユウと黄昏恋歌』が編集部特別賞を受賞。翌2004年5月、同作品でデビュー。代表作は『閉鎖師』(ファミ通文庫)シリーズ。 << pixiv Visual Storyにて『蒼井郷珠綺は脇役に恋をした。』連載中。 続きを読む
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バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「それでいいのか?」「何か不満が?」「いや、こんな日だし」俺が隣のガトーショコラを指さすと、久能はきょとんとそれを見つめて固まった。その仕草に、俺は電池で歩く人形を思い出していた。電池が切れた人形が半端な手振りで硬直するのは、薄ら寒い。 #candle_tea

2012-02-13 21:25:34
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「……ああ、そういえばそうですもんね」久能の背中に誰かが電池を入れたのか、彼女はこくこくとうなずいた。ど忘れ、ということもないだろう。祖母の誕生日がバレンタインに近い、というイベントを、こんな甲斐甲斐しい孫娘が忘れるだろうか? #candle_tea

2012-02-13 21:27:12
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「まあ、いいです。別にチョコ好きではないんで」そう結論して、彼女はショートケーキをふたつ買った。コンビニの明かりの下で、赤いイチゴがどぎつく照り輝いていた。「……ご不満ですか?」眉をひそめる俺に久能が訊ねた。「いや、俺が食べるわけじゃないし」 #candle_tea

2012-02-13 21:28:45
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「食べてくださいよ」「……何で」「パーティの賓客は多い方がいいです。どうせお暇でしょう?」暇ではあるが、かといって、ろくに喋ったこともない女の部屋にいきなり立ち入るのは、「殺されるよ」「暇にですか?」「それよりもっと怖いものがいる」 #candle_tea

2012-02-13 21:30:16
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「彼女さんですか?」「たぶんな」「確かに、人を殺しそうな顔をしていました」小首をかしげるその手の中で、ビニール袋が音を立てた。「……そういえば、初めて会った時のきみも、今にも殺されそうな顔をしていました。お似合いのカップルですね」 #candle_tea

2012-02-13 21:31:56
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「それはよく言われる」お互い死んだり殺されたりしてないのが、何よりの証拠だ。「今はずいぶんさっぱりしましたね、前髪もあの頃よりだいぶ短くて、実はちょっと、見違えました」「ふうん」髪をばっさりカットしたのは、あいつの入れ知恵だ。 #candle_tea

2012-02-13 21:33:24
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「そうしていると」自動ドアを出て、寒風吹き付ける夜空の下で、久能は言った。「この世に馴染む努力をしているようで、涙ぐましいです」白い息は、駐車場の空気に溶けた。「そんなに頑張らなくてはいけないと思っているんですか?」 #candle_tea

2012-02-13 21:35:06
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「頑張らない努力をする方が面倒なんだよ」つまらないことであいつと口論するくらいなら、美容院への出費なんか安いものだ。久能は目を細め、「恵まれている人の言葉ですね」「そうかな」「自覚していないのが何よりの証拠ですよ」吐き捨てて久能は、夜道へ歩み出した。 #candle_tea

2012-02-13 21:36:55
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

寂しげな街灯の下を、俺たちは斜めに並んで歩いた。久能の住んでいるというマンションはすぐそばだったが、短い橋を通らなくてはいけなかった。川を渡る厳しい夜風に、一瞬、死を覚悟した。「部屋まで行けばお茶を出しますよ」凍えて首を縮めた俺に、久能は微笑んだ。 #candle_tea

2012-02-13 21:38:16
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

バレンタイン短編[灯火のローズヒップティー]前半終了 #candle_tea

2012-02-13 21:38:33
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

バレンタイン短編[灯火のローズヒップティー]後半 #candle_tea

2012-02-14 20:57:16
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

そのマンションは、左右の小綺麗な住宅に挟まれて申し訳なさそうにしていた。細長い敷地に、お愛想程度の駐輪場があるだけ。オートロックのない玄関を抜け、ビラが剥がれかけた掲示板の向かいが、久能の部屋だった。「さ、どうぞ、何もない所ですが」 #candle_tea

2012-02-14 20:57:51
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

その挨拶が言葉通りの意味である部屋というのは、俺は他に知らない。古びたコンロと水道だけの台所、バスルームの扉、その奥のリビングはうちより小さいはずなのにやけにだだっ広く感じた。物のない部屋は広く、寒い。 #candle_tea

2012-02-14 20:59:54
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「座っててください、お茶入れますから」やかんとティーパックを取り出す久能にうなずき、腰を下ろした。カラーボックスに目をやると、マンガやファッション雑誌がちょっと並んでいるだけで、教科書も見当たらなかった。台所へ振り返り、「久能、試験はどうだった?」 #candle_tea

2012-02-14 21:01:02
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

コンロのつまみをひねろうとしていた久能の指が硬直した。その横顔に、橙色の電球が殺伐とした陰影を刻んだ。数秒の静寂の後、彼女は小さな声で「受けていません」「……そっか」俺はつぶやきながら、彼女に常識的な問いはすべきでないと判断した。 #candle_tea

2012-02-14 21:02:31
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

主賓であるはずの彼女の祖母がどうしているのか、なんて、訊くのも野暮な話だ。俺は手持ち無沙汰に部屋を見回した。カラーボックス、テレビ、作り付けのクローゼット、およそ生活臭が感じられないのは、寒さのせいだけではなさそうだった。 #candle_tea

2012-02-14 21:04:08
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

カンカンとお湯が沸き、それから数分、久能は白いカップをふたつ持ってやってきた。お茶、というには意外な、酸味のある花のような香りが漂ってくる。「ローズヒップティーです。我が家の唯一の贅沢品」カップを受け取ると、指先にじんわり熱が染みた。 #candle_tea

2012-02-14 21:05:21
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「ローズヒップティーって、血の色みたいじゃありませんか?」「どうだろ」血のことはあいつの方が詳しいが、たぶん彼女も否定するだろう。昔のあいつが持っていた粘っこくて黒いものの気配、あれがたぶん血で、紅茶のような透明なものではなかった。 #candle_tea

2012-02-14 21:07:04
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

久能はきょとんとして、「会話を進めようって気のない人ですよね、きみ」「そうかな」俺は生返事をして、茶に口をつけた。冷えた体には熱がありがたかったが、舌の上でしびれるような酸味は、どうも雑味が濃くて好みではなかった。たぶん安物なのだろう。 #candle_tea

2012-02-14 21:08:41
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「やはり恵まれているんでしょうね。それで生きて来れたのなら」久能も同じように口をつけ、かぶりを振った。「生きるとかの話なのか?」「話です。甘やかされているから、生きるコツを身につけずにすむんです」久能は微笑み、「愛されてますね」 #candle_tea

2012-02-14 21:10:07
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

俺は無言で茶をすすり、久能は続けた。「ご両親、確かうちの大学の教授なんでしょう?」正確には、うちの大学と企業が組んで設立した海外の研究所に所属している。相変わらずアフリカの奥地でサルの類と戯れているはずだが、仕送りは途切れたことがない。 #candle_tea

2012-02-14 21:11:46
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「で、長いつき合いの彼女さんといっしょに住んでいる。苦労なく生活してきたんだな、って思うしかないでしょう」久能は目を細め、「新歓で会った時は、どうしたらこんな絶望しきった人が出来上がるのかと思って驚いたんですが、何のことはない、ただのポーズってわけです」 #candle_tea

2012-02-14 21:13:11
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「まあ、そうだな」俺はうなずいた。空虚を嘆き、行き止まりに屈するそぶりをしたとしても、坂道を転がり落ちたり、隕石のように降ってくる災いを逃れる術はないし、それらに出くわさない自分は幸運だし苦労知らずだということくらい、いいかげん自覚している。 #candle_tea

2012-02-14 21:14:40
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「そうやって俺を詰る久能こそ、人より深く絶望した、と自慢したいのか?」追いつめるような言葉もしょせんは無駄口で、それを見透かしたように久能は即答した。「かもしれません。ですが、それを言葉にして、やっと生きていける人間もいるのです」 #candle_tea

2012-02-14 21:15:57
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

久能がどんな人生を歩んだか知らないが、彼女がそれほど汚辱に塗れているなら、俺なんかはいらだたしく、あるいは唾棄すべき存在だろう。ただ、俺には言葉にすべき思いも何もなくて、この内言もおおむね現実から離れているのを思い知って、ようやく言葉少なになれる。 #candle_tea

2012-02-14 21:17:11