民主主義の意義

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杉山博亮 @sugiyamahiroaki

1)新春一発目なので「民主主義」についてつぶやこうか。今回の内容は、自分的には確信だが、おそらく異論も多いと思う。なんせ扱うのが「民主主義」だからね。「民主主義」のことが好きな人は多いし、それぞれに思い入れがある人が多いから。

2012-01-06 09:49:21
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

2)司法試験受験生のころ「民主主義」というものが解らなくて、調べたことがあるが、これがまたビシッとしない。「人民の、人民による、人民のための政治」というリンカーンの言葉で表される政治原理……なんて説明まである。スローガンとしては秀逸でも、法的な議論の出発点には出来んだろう。

2012-01-06 09:50:02
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

3)結局、たどり着いた結論は「治者と被治者の自同性」を求める政治原理というもの。つまり、支配者と被支配者が同一であるという状態を最もよしとすること。例えば、被支配者が100人なら、支配者もその100人全員。全員で全員を支配すべきであるという考え方。

2012-01-06 09:50:21
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

4)「民主主義」の対局にあるのは「独裁主義」。これは1人が全員を支配するという考え方。この2つを両極に置き、現実の政治制度は、その間に配置されると考えられる。純粋な民主主義は実現が難しいが、独裁主義も、また純粋なものはそうはないのだろう。

2012-01-06 09:50:34
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

5)多数決は「民主主義」だろうか? そう考えている人が少なくない。しかし、極端な場合、51人で100人を支配できることになる。この場合、治者と被治者は同一ではない。ならば民主主義ではない。歴史上それ以前のやり方に比べて民主主義「的」だったから、きっとその代名詞になったのだ。

2012-01-06 09:50:47
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

6)全員一致は「民主主義」だろうか? 確かに決定したその瞬間は、100人で100人を支配している。しかしその後に気が変わった人がいたらどうだろう? 全員で決めたことだからと言って拘束されるなら、その瞬間には99人が100人を支配している。やはり民主主義ではない。

2012-01-06 09:51:05
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

7)全員一致で決め、気が変わったらいつでも決定を反故にできる。決定に拘束力はない。こういう状態なら「民主主義」は貫かれている。そしてこの状態だと、その構成員は、みんな好きでその決定に従っているから、完全に自由。「民主主義=自由主義」となる。純粋な形では両者は一致する。

2012-01-06 09:51:20
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

8)考えてみると、1人が自分1人を支配しているのが「自由」という状態で、これを団体に拡大したのが「民主主義」だと見ることができる。とすれば純粋な状態で一致するのは当然だ。だが、民主主義を純粋な形で実現するのは難しい。そこで民主主義の妥協が生まれ、拘束が生まれ、自由が制限される。

2012-01-06 09:51:33
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

9)最も民主主義「的」な制度は「契約」だ。ここでは全員一致が要求される。ただし、一度全員一致になると将来的に拘束力が生まれる。これに比べると多数決は、純粋型からは随分距離がある。代表制だともっと距離が生まれる。だからこれを補完して実質的に全員一致に近づける制度が必要になる。

2012-01-06 09:51:45
杉山博亮 @sugiyamahiroaki

10)多数決の前に議論を要求し、少数派にも説得の機会を与えなければならないのは、その1つ。全員一致を試み、どうしても駄目なときに、はじめて多数決は許容される。また、決定できる事項に限界が設けられる。だから、違憲審査制は民主主義「的」制度を補完していると見ることができる。了

2012-01-06 09:52:02