多作多捨とは?

俳句における多作多捨をめぐる話。
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やまだろけつ @rockets_yamada

→かといって私がその方法を実践しているということではありません。

2012-02-17 15:34:21
Ryu Yotsuya @leplusvert

多作って何句ぐらいを言うのだろうと、野蛮に聞いてみたいと思ったのですがね。正解がないのは承知のうえで。私から見ると、1日で最多50句以上、月200句作る人は多作かなという感じ。 @younohon これは習作の話ですか、創作の話ですか、なんて言うと混ぜっかえしになるのかな?

2012-02-17 21:39:41
Ryu Yotsuya @leplusvert

多作がいいとは、ぜんぜん思っていないのだが、自動化とかロボット化とか言うなら月200句程度は必須かな、と。

2012-02-17 21:43:53
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

@leplusvert えっと、これは龍さんへの返信というよりも全体読める所を読んだ感なんだけど、「多作多捨」も一方法で、選択するかどうかはそれぞれってこと。その上で、爽波の「多作多捨」における多作は、一義的には、一回の創作に於ける多作です。そして最後に1句生まれたとき(続く)

2012-02-17 22:43:15
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

(承前)それまでの句が屁のように見えてくるための多作です。その1句の手応えでぶったおれます。それまでに作っていた句数が5句であるか、100句であるかは問いません。ただ、僕の同行経験から言って、一回2時間の吟行で30〜50は書いておられたかな。そして立ち上がる寸前にもう(続く)

2012-02-17 22:47:15
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

(承前)一回坐り直される。最後のあがきです。そこに珠が潜んでいると、爽波は思っていたふしがあります。大切なことですが、その30〜50は一カ所移動せずに作り込まれていました。あ、これはどこまでも、爽波という個の方法に過ぎません。一つ言えるのは、一月に何句、一週間に何句、(続く)

2012-02-17 22:50:26
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

(承前)というのは、爽波の「 多作多捨」にとっては二義的なことにすぎないということです。(一度自分の今のツイートを読み返して続きを書きますね)

2012-02-17 22:52:07
Ryu Yotsuya @leplusvert

@younohon ウンウン、よくわかります。最後のあがきに珠は宿る、ね。こういうお話はとても参考になります。

2012-02-17 22:55:04
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

(承前)「 一回二時間の吟行」と書きましたが、爽波はその吟行の前半30分前後は歩き回ります。俳句はよほどの事が無いと書きません。書く場所を定めるために歩くのです。そしてここぞと決めたらそこに居続ける。そしてどんどん書く。その日いい句が生まれなければ、選んだ場所が悪かったと諦めます

2012-02-17 22:55:51
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

(承前)そして釣好きの魚目さんが呼応する。「けふは釣果がなかったですなぁ」。 作句に於ける偶然つて、さういうことなのでせう。

2012-02-17 22:59:52
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

@leplusvert あ、だからね、爽波は湘子さんの1日10句をあまり評価していなんつたんですよ。「そうじゃないだろうっ」ってね。多作という方法もさまざまですよね。

2012-02-17 23:02:17
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

自分の求める1句に執着する方法って、それぞれでいいんですよ。よく聞かされた話が、野見山朱鳥のエピソード。阿蘇山吟行で、宿に戻るなり、朱鳥さんはほんとうにぶっ倒れた。それは凄まじい1句への執念だったと、魚目さんから聞いています。

2012-02-17 23:06:56
Ryu Yotsuya @leplusvert

@younohon 実を言うと、私も「一日十句」で湘子先生は行き先を間違えたと思うのですよ。多作してこなかった人が突然多作をはじめると、自分自身がコワレてしまう。しかし、こういう無茶苦茶なことを試みたという勇気は、たいしたもんだとも感じるのだけど。

2012-02-17 23:07:29
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

たとえば「僕は句帳も捨てちゃった」という森澄雄さんの吟行スタイルも森さんの1句を求める執念から生み出されたスタイル(吟行で1句も書かずに、家に全て見たり感じたりしたものを持ち帰って筆を取るという方法ね)だし、先輩のスタイルをさまざま学びながら自分のスタイルを決めて行けばいい。

2012-02-17 23:11:06
Ryu Yotsuya @leplusvert

「吟行スタイル」とかの話になってしまうと、きれいごとすぎてつまらないように思うんです。先輩諸氏が、どうやってじたばた悪あがきしながら俳句を作っていたかに興味があります。 @younohon

2012-02-17 23:16:45
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

@leplusvert 間違ったかどうかはねぇ、晩年の【大雷雨ぺんぺん草は立ち向ふ】なんていいよ。晩年が良ければいいんだよ。それに世間の目を気にせずに臆面も無く(って言ったら失礼かもしれないが)やり通したつていうのは、ほんと、たいしたもんだ。

2012-02-17 23:17:34
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

@leplusvert うん、爽波の「多作多捨」理解が歪み始めたのでは、みたいなツイートをどなたかがなさってたんだよね。だから取り敢えずぼくのまとめとしてね、書いてみました。で、悪あがきはさあ、そりゃ湘子だよ。他人の目を気にしない覚悟。毀誉褒貶さまざまだつたんだから。

2012-02-17 23:22:17
Ryu Yotsuya @leplusvert

高浜年尾が書いていましたが、夜、眠れないで布団にいたら、父の虚子が縁側に来て、雨戸を外して、庭を眺めていた。そのときできた句が「虚子一人銀河と共に西へ行く」だったと。虚子もそうやって(締切に追われて、か?)じたばたして句を作っていたというのは、いい話だと思うんですよね。

2012-02-17 23:22:29
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

あ、じたばたしよう、今日送る原稿締切まで30分だ。

2012-02-17 23:25:52
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

@leplusvert 吟行スタイルというより作句スタイルね、無作無捨おおいに結構、という ……。

2012-02-17 23:30:37
島田牙城@邑書林&里俳句会 @younohon

(けふの最後ッ屁)【帚木のつぶさに枝の岐れをり】【帚木が帚木を押し傾けて】爽波がどっちを好きだったか。後者です。前者はつきつめる目を持っていれば誰でも書ける。対して、後者は一回性、偶然性に出会えた爽波自身の喜びがあるんですね。そしてその吟行の最後の句だったはずです。おやすみなさい

2012-02-17 23:50:34
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