XENOGLOSSIA(真性異言)とEVANGELION(福音)に始まる『新世紀エヴァンゲリオン』と『アイドルマスターXENOGLOSSIA』の照応関係の話
そういうごちゃまぜの素材としてのエヴァを一番綺麗に腑分けしたアニメ、とXENOGLOSSIAは言える。そうしてみたら、どうしようもない気がしていた色々がそうでもなかったと思えてくる。困難は分割せよ。
2012-02-27 17:27:41で。あずさは父性を、千早は母性を演じて見せるわけですが、真と雪歩にそれぞれ求められていたのがそれぞれそのような性質だったというわけでもないあたりが切なくてよいと思います。
2012-02-27 17:35:51でまあ課長。大人が勝ち逃げ出来ないはずのセカイでひとり泥被ってないようには見えますよね。それは彼が実のところ子供の気持ちを忘れてない(かっこいいじゃありませんか、とか)から、あと事態の中心に関わってないからとは言えるんだけど。ど。
2012-02-27 17:45:34課長のiDOLとアイドルマスターに対する眼差しは、「外野からの無定見な善意」という消極的なものではなくて、もっと積極的なもの、われわれのあの世界への距離感というか態度というか、そういうものに似ている、あるいは何らかの影響を与えている、ように思われる。
2012-02-27 20:47:42さておき! 我々が碇シンジのように苦しむのならば、インベルと菊地真をTPOに合わせて演じ分ければよい。立ち上がる勇気がないのならばフィクションに勇気をもらい、誉められたくて苦しいのなら時には素直にそういってみればいい。
2012-02-27 17:56:31ヒエムスとカヲル。
@nrknbnyyyy まあそうなんですが、最後のシ者でシンジの辛いときをずっと見ていてくれてそっと側に寄り添う、というのはそうだなあと。
2012-02-27 18:08:48@kaolu4s どちらかというとカヲルくんに対してはシンジをより追い込んだ勝手なやつという印象のほうが強かったもので。「さあ、僕を消してくれ」じゃねぇよ、という…。
2012-02-27 18:16:04@nrknbnyyyy カヲルの存在はシンジを苦しめてばかりいますよね。カヲルの暴力的な優しさに対して、残酷な回答をしてしまったことに苦しむという。強烈な優しさは他人に傷を与えます。 カレカノにかこつけて、真は有馬・ヒエムスは浅葉ってイメージが湧いてきました…。
2012-02-27 23:52:17@Funasu 無責任ですよね、カヲルくん。でもシンジにとって救いであったことも確かで。劇場版で巨大綾波がカヲルくんになったら喜んでましたし。XENOGLOSSIA=エヴァは定論ですが、個人的には監督の次作ということでカレカノととらドラを比較するとおもしろいのではと思っています。
2012-02-27 23:59:03@kaolu4s 渚カヲルとヒエムス、両者が優しさを持っていたことは否定できませんが、優しい者としてやってきて身勝手に去っていったカヲル。どのiDOLより何者かわからぬ存在として現れ、後に優しい者だったことがわかるヒエムス。という印象で、うーん、結構難しいなーと。
2012-02-27 21:23:46@kaolu4s まぁその後の劇場版、新劇場版共にカヲルくんはシンジにとって優しい者としての面しか表されていないのでわからなくもないですが。
2012-02-27 21:24:10渚カヲルはシンジに優しい言葉をかけたけれど共に何かを成したわけではない。フロ入って寝ただけで。ヒエムスはもちろん言葉はかけなかったけれど物語後半、真が何かを成すときいつもいっしょだった。
2012-02-27 21:26:43あと劇場版のカヲルくんは優しいけれどあれはシンジの中のシンジが望んだカヲルくんだと思うし、新劇場版に関してはエヴァンゲリオンの例外としてもよいと思う。
2012-02-27 21:28:29@kaolu4s XENOGLOSSIAがエヴァをもう少し善意に基づいてに再配置したものならば、渚カヲルがどこに来るのかと言うと確かにヒエムスにもそれを見出すこともできますが主役のシンジを春香とすれば雪歩にカヲルくんを見出すこともできるようにも思うんですよね…。
2012-02-27 23:29:23真と綾波の話。