20120305 #NHK スペシャル「3.11 あの日から1年 38分間~巨大津波 いのちの記録」

NHK釜石報道室の記者が撮影した、38分間の記録。そこに映された289人の「あの日」の証言、そして家族を失い被災した人びとの「その後」1年に渡る苦闘を通じて、巨大津波に向き合う人間の記録をつづる。 http://www.nhk.or.jp/special/onair/120305.html
6
NHKスペシャル(土曜夜10時 日曜夜9時) @nhk_n_sp

【まもなくNHKスペシャル】「38分間~巨大津波 いのちの記録~」。今日から5日間、「3.11 あの日から1年」と題したNスペを連続で。その第一弾です。ご意見・ご感想はハッシュタグで、 #nhkspecial

2012-03-05 21:55:03
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 「3・11 あの日から1年 38分間〜巨大津波 いのちの記憶」NHK釜石報道室。3月11日、巨大津波が釜石の町を襲う様子を記録した、38分間の映像。14時50分、子供の行方を心配する母親たち。町を見下ろす高台、100人あまりの住民。

2012-03-05 22:01:11
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 15時19分、釜石港、水が市内に入り込む。町には人が取り残されているはず。恐怖心を振り払うように叫び続ける記者。流される家。被災した289人の姿を映していた映像。その安否を確認してまわる。

2012-03-05 22:03:49
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 3月11日、NHK釜石報道室の徳田憲亮記者、津波が釜石市を襲う一部始終をビデオカメラに収めた。「助けの手をさしのべることもできず、カメラをまわすことしかできなかった。いま私は、得体のしれない罪悪感のような、後ろめたさを感じている」

2012-03-05 22:06:29
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 高台に避難していた男性に、津波が来る直前にインタビュー。板澤さん、娘と道路の真ん中にしゃがみこんでいた。このインタビューのあと、板澤さんの姿は消えていた。比較的高い場所に家、高台にすぐ避難できる場所だった。3月29日に家を訪ねる。

2012-03-05 22:08:12
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 家には板澤さんの弟・和志さんがいた。行方不明の兄・和公さんの手がかりを探していた。記者の撮った映像を見る。津波の後、兄を探す和志さんも映っていた。板澤家は、安全の象徴。十勝沖地震の再、住民の避難場所になった。今回、そこにも津波が。

2012-03-05 22:10:48
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 和公さん、家から母親を連れて高台へ続く階段を登ろうとした時に、津波が。一緒に津波にのまれた男性、フェンスに指先がかかった。すぐ後ろにいた和公さん親子の姿は、すでになかった。2ヶ月後、和公さんが見つかった。母親もすぐ近くで。

2012-03-05 22:12:20
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 瓦礫に酒をかける和志さん。「一緒に流れてきて…」和志さん、それを知って何度も何度も頷いていた。記者「あの時、私が声をかけなければ、和公さんはもっと早く家に帰り、助かったのではないか」和志さん、そんなことは考えるなと気遣ってくれた。

2012-03-05 22:13:50
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 近所の商店街でよく見た、金物屋の男性。3月26日、男性・加藤さんとその母親に会う。店の主である父親の行方がわからない。加藤鉄三郎さん。チリ地震津波でも被災したが、老舗の看板を守り続けてきた。息子と妻を先に逃し、シャッターを下ろそうと。

2012-03-05 22:16:22
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 「おめたち先に逃げろって、シャッターから離れなかったの。父ちゃん、父ちゃんと叫んだけど、返事がなかった」鉄三郎さんが仕入れた風鈴が流されずに残っていた。2日後、自衛隊が店を捜索。1人男性発見。息子と母親が確認。鉄三郎さんだった。

2012-03-05 22:18:26
猫札 @zenpukujisasco

@shbttsy74 すごく普通に「父ちゃんいた」って…淡々とした会話。そうなってしまうのですね。その時は。

2012-03-05 22:25:37
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 母親、鉄三郎さんの手をさすりながら「待っててね、すぐ行くからね」

2012-03-05 22:18:58
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 今も3000人を超える行方不明者がいる。釜石市でも150人以上の行方がわかっていない。消防団員の疋田さん。3月11日、記者のインタビューに答える。この時、娘が行方不明になっていることを知らずにいた。3月26日、娘の行方を必死で探す。

2012-03-05 22:20:44
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 娘が働いていた幼稚園へ。変わり果てた建物。避難所を探しまわってきたが、行方不明のまま。アルバムから娘の姿を探しだす。「これがうちの娘です…」菜津子さん、幼稚園の先生として働きはじめたばかりだった。この日も手がかりはつかめず。

2012-03-05 22:23:01
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 3月31日。菜津子さんの鞄が見つかった。母親が駆けつけた。鞄にいっぱいの荷物。母親手作りの飴入れ。「謝らないでね。誰のせいでもないからね」菜津子さん、園児2人を連れて近くの建物へ逃げた。園児2人は助かったが奈津子さんの足取りは途絶えた。

2012-03-05 22:24:57
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 2ヶ月後、瓦礫の撤去ははじまったが、避難先から戻る人はほとんどいなかった。5月19日、金物屋へ。店内の瓦礫が片付けられ、商品が並べられていた。値段を下げてでも、被災者の手に渡したい。商店街の仲間が店を訪れた。店を流された食料品店の店主。

2012-03-05 22:26:44
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 商店街はどうなってしまうのか。金物屋の榮さん、できるならここに住み続けたい。人の住まない町で、商店街は成り立たない。

2012-03-05 22:28:15
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 8月。娘の行方を探す疋田さん夫妻。手がかりはまだ見つからない。毎年娘と見ていた花火が遠くに見えた。高台で被災を免れた疋田さんの家。あの日以来、毎日手帳を書いている。家族の行方が不意にわからなくなるとは、こういうことか。悲鳴のような文字。

2012-03-05 22:30:22
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 父親「頭の中は…頑張らなきゃなと思ってるけど、気持ちはどうすればいいのかなって。その繰り返しだよな…この状態から逃げられるもんなら逃げたい…逃げたって後から追ってくるもの」時の流れは、疋田さんの苦しみを深くしている。

2012-03-05 22:32:05
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 疋田さんの家に、お盆に子どもたちが帰ってきた。両親を心配する子どもたち。努めて明るく振舞っているように見えた。母親「みんな帰ってきたけど…1人足りないからね…」この日の海は、嘘のように穏やかだった。

2012-03-05 22:34:08
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 疋田さん、最近見た奈津子さんの夢の話をしてくれた。「3月に着ていたスウェットのズボンと、ドンブクを着て笑っていた。『今日休みなの?』と聞くと『休みだよ』と答えてくれた。現実だったらいいのに」娘を捜し続ける日々が疋田さんを追い詰めていた。

2012-03-05 22:36:18
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 2ヶ月後、疋田さんは十二指腸潰瘍で倒れ入院。

2012-03-05 22:36:45
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 12月1日、母親の誕生日に、携帯電話から突然「ハッピーバースディ」の曲が流れた。誰が?「きっと菜津子かなと思うんだけど。いなくなってもね…お祝いしてくれてるんだなと思って…」奈津子さんが母親に買った携帯電話に、奈津子さんが入れていた。

2012-03-05 22:38:20
ほんのこ @shbttsy74

#NHK #nhkspecial 母親・礼子さん「うちのおばが、きっと記憶喪失になってどこかで助けられているかもしれないよって言ってくれた。そう思えば、生きているかもしれないなって。早く帰ってきてほしいと思ったり、どこにいるかなと思ったり」

2012-03-05 22:39:24