あの日から1年、鉄道写真家が見た東北の風景
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2012-03-07 10:20:18【鉄道写真家と東北2】本日は震災前の東北の鉄道写真を撮ってこられた写真家のかたの声をお届けします。
2012-03-07 10:27:11【鉄道写真家と東北3】震災後に当社から刊行した1冊の写真集『忘れえぬ東北・ふるさとの鉄道風景』掲載の、編集委員代表の中井精也さんによる「あとがき」からです。
2012-03-07 10:27:29【鉄道写真家と東北4】2011年4月。僕は三陸鉄道(さんりくてつどう)の田老(たろう)駅前で、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていました。
2012-03-07 10:28:28【鉄道写真家と東北5】。国鉄宮古(みやこ)線時代から何度も訪ねた街は、見渡す限り瓦礫(がれき)で埋めつくされていました。饐(す)えたガソリンの臭いと、潮(しお)の臭いが混じり、この世のものとは思えない世界が広がっていたのです。
2012-03-07 10:28:55【鉄道写真家と東北6】陽が沈み、景色が夜に向かうころ、かすかな線路の音とともに、北リアス線の復興支援列車が現れました。
2012-03-07 10:29:20【鉄道写真家と東北7】瓦礫のなかに煌々(こうこう)と輝くその列車の光は、三陸鉄道の、いや、今回被災したすべての鉄道を照らす、希望の光に見えました。
2012-03-07 10:29:41【鉄道写真家と東北8】この稿を書いている時点で、震災から5ヵ月が経とうとしています。その間に被災地の瓦礫はキレイに除去されましたが、
2012-03-07 10:30:09【鉄道写真家と東北9】肝心の政治は空回りし、根本的なことは何も改善されていないような気がします。
2012-03-07 10:30:24【鉄道写真家と東北10】我々写真家も、それぞれが物資を運んだり、ボランティアをしたり、募金をしたりと、少しでも被災地の役にたとうとがんばってきましたが、
2012-03-07 10:30:41【鉄道写真家と東北11】それでも劇的に変化させることは難しく、自分の無力さをふがいなく思う月日ばかりが過ぎていきました。
2012-03-07 10:30:58【鉄道写真家と東北12】そんなある日、ニュースを見ていると、被災された方が津波で流された街の昔の写真を見て、懐かしそうに微笑んでいるシーンに出会いました。
2012-03-07 10:31:16【鉄道写真家と東北13】そこで我々は、我々が最も得意とすること、つまり鉄道写真で被災地を応援しようと気づいたのです。
2012-03-07 10:31:35【鉄道写真家と東北14】もちろん写真を見るだけでは、直接不便な生活を変えることはできません。でも懐かしい風景を、それも日常の象徴である鉄道がある風景を集めて形にすれば、
2012-03-07 10:31:52【鉄道写真家と東北15】被災された人たちの心を癒すことができるのではないだろうか? そんなわずかな望みを信じて我々は動きはじめました。
2012-03-07 10:32:07【鉄道写真家と東北16】どんな大きなメディアも、地元に密着した新聞社も、鉄道だけを見ているわけではありません。
2012-03-07 10:32:27【鉄道写真家と東北17】しかし我々鉄道写真家は、被災した路線の隅々まで、地元の人よりもはるかに緻密に撮影している自負があります。
2012-03-07 10:32:43【鉄道写真家と東北18】好きだからこそ、愛しているからこそ撮影し、残すことができた風景を、ぜひご覧になっていただきたいと思います。
2012-03-07 10:33:00【鉄道写真家と東北19】そしてその写真の1枚でもいいから、被災された方の心に届き、明日に向かう勇気に変わってくれれば、これ以上の幸福はありません。(中略)
2012-03-07 10:33:12【鉄道写真家と東北20】被災された皆様の日常が少しでも早く復旧されることを、地震と津波で引き裂かれた線路がまたつながり、みなさまの笑顔を運ぶ日が来ることを、心から祈っています。
2012-03-07 10:33:30【鉄道写真家と東北21】平成23年8月『忘れえぬ東北・ふるさとの鉄道風景』編集委員代表 中井精也 ~『忘れえぬ東北・ふるさとの鉄道風景』より
2012-03-07 10:33:51【鉄道写真家と東北22】上記を書かれた中井精也さんのブログでは、八戸線の陸中八木駅、三陸鉄道の三陸駅近くで車内から見えた虹、
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