日本初の常設映画館の電気館は目がチカチカすると次第に浅草の目の超えた客に飽きられ曲芸や犬の踊りに芸者の踊りなんと言う出し物をしとったですか
2012-03-03 22:35:45「征露活動大写真!今迄になき驚くべき実地撮されたる壮烈勇猛なる大実写」そんなのぼりがたてられそれまでと打って変わり映画事業は大盛況となり前線から送られるフィルムは5月に始めて上映されてから大衆を引きつけたと
2012-03-03 22:41:35日露戦争で多くの友人知人親族が戦地に行き少しでも戦場での彼らの事を知りたいと言う欲求は映画と言うジャンルを日本で確立させたのでしょうね
2012-03-03 22:45:241905年5月28日には東京日日新聞に奉天や旅順の活動写真の広告が出され10月2日の大阪朝日新聞には「青少年に軍事思想を養う効果」を評価する記事が乗るですか
2012-03-03 22:50:48この時の邦人カメラマンの映像からは敵に対する嫌悪感を煽る様な演出が欠如していると
2012-03-03 23:01:24日本で最初に撮られた戦争映画は1909年の日本桜と言う映画で舞台は二百三高地なんですね、九州男児が召集令状を受け苦闘の中攻撃の最中に主人公は死に、僧侶の読経のなか荼毘に伏せられるというなのですね
2012-03-03 23:07:54なにその反戦映画w RT @futaba_AFB: 日本で最初に撮られた戦争映画は1909年の日本桜と言う映画で舞台は二百三高地なんですね、九州男児が召集令状を受け苦闘の中攻撃の最中に主人公は死に、僧侶の読経のなか荼毘に伏せられるというなのですね
2012-03-03 23:11:24日本で映画によるプロパガンダの走りは1919年のロシア革命に影響され文部省が国内の赤の脅威や平和主義一掃を目的とする社会教育計画の一部で映画を利用しようとしたのがはじめになるのですか
2012-03-03 23:14:571930〜40年代のはじめにかけて戦車や戦闘機に特に戦艦に熱中する子供達に報道機関はマニアと言う英語を使って描写し出したって、この話が本当なら日本で最初に認識されたマニアは軍事オタクになりますね...
2012-03-03 23:28:351929年西部戦線異常なしは日本でもベストセラーとなり「キネマ旬報」は年間ベストテンの1位となり映画館で涙を流す観客がみうけられたりかなり話題の映画だった様です。
2012-03-03 23:41:05一方で内務省管轄下の検閲官たちにとって平和主義は躍起になって対処していた棄権しそうです国家公務員と政治家向けの検閲時報の30年6月号にはかつては比較的無害な問題に従事するメディアであった映画が、協調して社会全体の意思を変革する努力をしていると書かれているそうで、分岐点になりますね
2012-03-03 23:48:37西部戦線異常なしは280箇所も検閲官に削除され、これは映画全体の20%に及んだそうです。
2012-03-03 23:54:23いきなり横から失礼ですが、それじゃあ何がなんだか解らなくなるシーンとかあったのでは……逆にその検閲版の方見てみたいです RT @futaba_AFB 西部戦線異常なしは280箇所も検閲官に削除され、これは映画全体の20%に及んだそうです
2012-03-03 23:58:47満州事変の報道は時代劇の様な構造で描かれていったですか、陰謀論めいた記事は悪辣な敵が、誰にもわからぬ事情により、辛抱強い主人公に対して乱暴を働き、それが次第にエスカレートしていくと
2012-03-03 23:59:31@futaba_AFB 後の力道山である…というか日本人(に限らず?)はそういうストーリー好きですよねぇ。そしてブチ切れた主人公が使う手段には無頓着w
2012-03-04 00:02:11ドイツだったかでも検閲されている映画なのですよ、西部戦線異常なしって、トーキー映画なので弁士が誤魔化したりできないので切るしかなかった様で “@89sikin: いきなり横から失礼ですが、それじゃあ何がなんだか解らなくなるシーンとかあったのでは……逆にその検閲版の方見てみたいです
2012-03-04 00:04:47@seibihei 日露戦争後、だれかに戦果をだまし取られた!という国民感情が国民の趣向を保守的な物に変えていったように今読んでいる帝国の銀幕の作者は考えているようです。その中で水戸黄門メソッドは基本形だったのかもですね、、、
2012-03-04 00:08:56肉弾三勇士の熱狂がラジオや映画、不況で落ち込んでいた文楽や歌舞伎、落語なんかの伝統芸能がこぞって題材にして、盛り上がるきっかけになったりしたとは、、、
2012-03-04 00:19:01乃木将軍と聞くと僕は映画の二百三高地やこの前やっていた坂の上の雲を思い出しますが、戦前ちょうど満州事変ぐらいの頃に乃木将軍物の映画がいくつか作られているのですよね
2012-03-04 00:34:09この乃木将軍物の映画は部下の死に苦悩する乃木と、戦後旅順で息子を亡くし困窮し乃木を恨んでいる家族を正体を隠しの技が助け、乃木が去った後老人の正体を知り憎しみが尊敬に変わるという水戸黄門と同じような構造の映画が多かったようで
2012-03-04 00:37:24