堀茂樹先生( @hori_shigeki )の連続ツイート「上司に命令されたら、〈それがどんな命令であっても〉自分で考えるな。黙って従え。その代わり、お前に責任はない」と言うが如き橋下徹流「組織論」は民主主義の文化に反する
- ujikenorio
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②「じゃあ君が代を歌わない事を正当と信じ、結果としてそれは法令違反なので懲戒を受ける、と言う流れは全くもってOK!ということではないのだろうか…?なんで彼〔=堀〕が橋下を批判しているのかよくわからない」と。類似の内容のメンシ ョンが、他の方から私に届いていたような気もします。③へ
2012-03-19 14:45:29③そこで、私の考えのいっそうの明確化を試みます。私が問題にしたのは、橋下徹氏が事あるたびに唱える組織論です。その組織論は「全体主義的」とまでは言えない迄も、明らかに「全体論(ホーリズム)的」な性格を持っており、橋下氏の主張するところに反して、けっして民主主義的ではありません。④へ
2012-03-19 14:46:04④なぜそう判断するか?一言でいえば、橋下氏の組織論とそれに伴う「責任の所在」論は、ヒエラルキー組織に属する人間が職務命令の下で、人間としての自由と責任まで喪失するのが当然であるかのような言説だからです。それが民主主義を標榜する人気市長の発言であるとき、看過する訳にいきません。⑤へ
2012-03-19 14:46:43⑤さて、疑問を持たれたポイントについては、次のようにお答えします。仮に最高裁 判所が、公立校校長がいわゆる口元監視をしない事を、また教員が「君が代」を自ら歌わない事を、それ自体として法令違反とするようなトンデモ判決を下すならば、心ある日本国民の立場は次のようになると思います。⑥へ
2012-03-19 14:47:26⑥⑴法治国家の原則を支持する以上、〈合法性〉尊重の名において、最高裁判決に従う行動をとらざるを得ない。しかし、⑵判決を自ら「内面化」して〈正当性〉まで最高裁に譲り渡す必要はなく、法律を超える自然権(=人権)を念頭に置きつつ判決の是非を自らの理性と良心に問うた上、(⑦へ)
2012-03-19 14:48:27⑦不当な判決であると公言し続ける権利(思想の自由)はある。また、⑶政治を動かし、立法府をとおして問題の法令自体を改正する道は残されている。⑷もし権力(司法を含む)がその道をも塞ぐようであれば、それは日本が民主主義体制をかなぐり捨てた事を意味するので、あとは革命しか手段がない。⑧へ
2012-03-19 14:49:33⑨以上の⑴・⑶・⑷だけに注目し、橋下氏の言っている事と結局は同じだと早合点しないでいただきたい。私は、職務命令の下で部下が、人間としての「責任」を免除されるとは思いません。その種の倫理的「無責任」は、民主主義の本質である自由(=自律としての自由)の放棄にほかならないからです。了
2012-03-19 14:50:35ソクラテスの「悪法も法なり」は、悪法も法律である以上、その悪法の内容を承諾するという意味ではありません。問題の法律の内容が悪であることをあくまで主張し続けつつ、法治には服すという意味です。ソクラテスは毒杯を飲みましたが、自分に毒杯を飲ませる判決は不正だという点は譲りませんでした。
2012-03-19 15:07:14堀先生が( @hori_shigeki )がRTされていましたイシカワ・トモヤ氏( @Ishikawa_Tomoya )のロバート・ジャクソンについての連続ツイートも追加しました。
2012-03-19 15:21:471943年の有名な米連邦最高裁の判例がある。公立学校で生徒が星条旗に敬礼しなかったことに端を発する思想信条の自由について。この自由には公権力は決して土足で踏み込んではいけないという格調高い文章として知られる(@hori_shigeki)http://t.co/mD7eVshe
2012-03-18 21:57:19連邦最高裁の判決文は特定の判事が書き他が賛否を添える形式だが、これを書いたのはロバート・ジャクソン。米国が欧州戦線でも太平洋でも激闘を繰り広げていた時期にこうした判決文が書かれた (@hori_shigeki) 橋下流組織論 http://t.co/mD7eVshe
2012-03-18 21:58:30ちなみにジャクソンは「人道の罪」を重要なコンセプトとした戦後処理のためのロンドン会議の議論を主導した。個人には良心の自由がある、つまり、「上官の命令」を理由に人道上の罪は免責されない。(@hori_shigeki) 橋下流組織論http://t.co/mD7eVshe
2012-03-18 21:59:38仏の高級官僚パポンはビシー政権下でのユダヤ人拘束に協力した罪で裁かれた。役人が「業務」で行った行為の「政治的」「刑事的」「道徳的」責任のいずれも問えないなら、主体など存在せず、人間は動物と同じ (@hori_shigeki) 橋下流組織論http://t.co/mD7eVshe
2012-03-18 22:00:54ジャクソンは、ニュルンベルク裁判の主任検事も務めた。星条旗に公然と背く自由を認めることと、その旗の下で命じられた人道に反する行為を拒否することを求めること、これは一貫したことなのだ。 (@hori_shigeki) 橋下流組織論http://t.co/mD7eVshe
2012-03-18 22:02:19再送)多数決は民主主義の正統性に必要であっても十分ではない。狭義の民主主義(多数支配)は立憲主義と緊張関係に陥る。橋下市長がそのことに自覚的かどうかは不明だが、彼を支持する人間の多くはそのことを認識していないようだ
2012-03-18 22:09:11再送)「他者を手段としてだけでなく目的として扱う」のなら、他国民や子孫の世代や前世代(死者)もそう扱わなければならない。ナチスの行為に戦後生まれのドイツ人としての「私」が責任を追うとしたら、それは自律的個人による自己決定としてしかありえない
2012-03-19 17:31:33再送「自由な主体」がなければ「責任」 じたいも霧消してしまうのだから。倫理や責任は「自由」からしか出てこない、というのがカントの倫理学だろう。カントが自由を義務と言ったのは、柄谷行人によれば「自由であれ」という命令に従えという意味。「自己決定」「自由な主体」という虚構を選べ、と
2012-03-19 17:32:05再送「ことば」が現実を規定するということを最初から信じていない国民が、市民の共同体たる近代国家を形成・維持できるのか。解釈改憲を繰り返し、現実に憲法を合わせろとの倒錯を平気で口にし、「自衛隊がいるところが非戦闘地帯だ」と言ってのける。この国の政治にとって言葉など呼気と同じなのだ
2012-03-19 17:33:28@ujikenorio ありがとうございます。論旨を明確に論拠を示し反論に開かれている、それが立論だと思いますが、橋下シンパの方々はそういったことすべても否定しているかのよう。「決められない民主主義(ごっこ)」を批判するのは結構だし、またすべきですが、民主的議論の否定は許されない
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