「不殺生戒」と「肉食」をめぐる対話―森岡正博氏と佐藤哲朗氏のtweetより

「不殺生戒」をめぐるtweetのまとめ
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佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika 生きとし生けるものの幸せを「願える」ようになるのは、それほど容易いことなのか? という疑問は当然出てくると思います。慈悲の完成者は「梵住者」すなわち最高の生命と呼ばれると、慈経(metta-sutta パーリ小部経集蛇章)にありますので。

2012-03-18 13:18:48
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika 生命を殺さない、殺させない、という場合は「不殺生」という戒(siila)の実践になりますね。「殺させない」ため、「放生(動物解放)」を実践する人もいます。政治家なら法的な動物保護にも取り組むでしょう。私もいくらかそのために時間と金を使ってます。

2012-03-18 13:26:28
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika 仏教のゴールは「解脱」です。ですから慈悲の実践にせよ、不殺生戒の実践にせよ、「苦=生命=輪廻からの解脱」を目指す修行です。「完成」したら、生命ではなくなっている、存在の領域を超えていることになるのです。世俗の学問から見れば、異様だと思いますよ。

2012-03-18 13:33:55
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika しかし、完成(解脱)に至るための仏教徒の生き方こそが、一切衆生の利益になるとも主張しているのですね。それが本当かどうかは議論した方がいいと思います。

2012-03-18 13:36:50
森岡正博 Masahiro Morioka @Sukuitohananika

@naagita 哲学者としては、解脱により生命(という形式)ではなくなるということと、存在の領域を超えることは、違うのではないか、というあたりが気になります。

2012-03-18 13:38:07
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika それは有余涅槃・無余涅槃という形でいったん整理されたのですが、仏教史をざっと見ていただければお分かりのように、激しい炎上ポイントになってますね。

2012-03-18 13:57:21
森岡正博 Masahiro Morioka @Sukuitohananika

@naagita 生命に何を含めるかによって、不殺生の実行可能性が違ってきますよね。植物や微生物は不殺生に含めるのかどうか。

2012-03-18 13:36:08
森岡正博 Masahiro Morioka @Sukuitohananika

@naagita ではなぜ感覚あるものだけを不殺生の対象として特別視するのか、それは解脱の道とどういう内的関連があるのか、という点が疑問として浮上します。

2012-03-18 14:34:28
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika それは仏教では感覚あるもの(有情)が生命であると定義するからです。仏道は端的には苦滅道=八正道を説きますが、八正道の正命と正業に不殺生が含まれます。有情に苦を与えない生き方の完成が、即ち修行の完成でもあります。

2012-03-18 15:03:12
森岡正博 Masahiro Morioka @Sukuitohananika

@naagita 質問です。有情=生命は仏教史のどこで説かれていますでしょうか? また有情に苦を与えないことが奨励されるなら、動物を麻酔して殺して食べるのはOKということになります。

2012-03-18 15:19:10
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika 生命=有情は仏教の最初からずーーーーっと一貫しています。あと、「不殺生」だから、麻酔しても殺しちゃダメですよ。(^_^)欧米の動物福祉思想と仏教はそこが違います。

2012-03-18 15:32:20
森岡正博 Masahiro Morioka @Sukuitohananika

@naagita 生命=有情は、どのくらい最初から? 部派仏教から?原始仏教から? また、仏教は「家畜全廃をめざす」ということでよろしいでしょうか。

2012-03-18 15:40:24
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika 原始仏教からです。仏教は社会運動ではないので、家畜全廃は唱えません。しかし仏教徒には屠畜や動物の売買を避けるよう勧めています。江戸時代まで安芸の浄土真宗信徒も蚕を殺す養蚕を避け山繭を育てました。近代化過程で国家に迎合して教えを歪曲したんですね。

2012-03-18 15:48:52
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika生を戒める対象としては、有情(感覚あるもの、痛みを感じるもの)と定義されます。植物は含まれないとされる。これは最近の動物福祉思想と同じです。痛みを感じると分かっている動物は福祉の対象とすべきであると。例:ブレイスウェイト『魚は痛みを感じるか?』

2012-03-18 13:54:51
森岡正博 Masahiro Morioka @Sukuitohananika

@naagita 原始仏教だと経典はどこを見ると書いてありますでしょうか。歴史を見れば仏教は社会運動でもあったと私は思います。基本、私は牛肉をありがたくいただいている僧侶を見るのが好きではありません。現代の僧侶が殺生肉を食べることはどのように正当化できますでしょうか?

2012-03-18 15:56:49
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika せっかくなのでパーリ経蔵をざっと調べてみます。しばらくお待ちください。あと、牛肉云々は……自分の食欲のためにわざわざ屠畜させたというならとんでもないですが、布施されて受けたなら別に……。

2012-03-18 17:34:41
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika ざっと見た処、有情を卵生・胎生・湿生・化生(1-3動物と4霊的生命)としたパーリ中部12獅子吼大経、「(色受想行識の五)蘊があるから生命という世間の合意がある」としたパーリ相応部詩偈相応比丘尼10、(続く)

2012-03-18 19:08:44
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika (承前)「釈尊よ、何を有情(satta)と言うのか」と問われて「五蘊において欲・貪・喜・愛があり、これに執著し、纏わり付くゆえに」と答えた相応部蘊篇ラーダ相応2 などですかね。釈尊は衆生を五蘊、十二処として説き、植物は度外視してます。

2012-03-18 19:14:45
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika 植物をむやみに刈るなと戒める場合は、伐採されそうになった霊木に住む神霊の訴えを聴いて、樹木に依存する生命に迷惑かけないために、というパターンです。律蔵に、出家の戒律として樹木伐採を禁じる条項があったと思います。在家には樹を植える功徳を説きます。

2012-03-18 19:20:27
森岡正博 Masahiro Morioka @Sukuitohananika

@naagita たいへんありがとうございました。m(_ _)m この点についてはご教示の箇所あたりから調べていけそうです。

2012-03-18 19:27:33
森岡正博 Masahiro Morioka @Sukuitohananika

@naagita それはすみませんm(_ _)m。他の方へのツイートでも書きましたが、布施を受けたとしてもその布施をした人やその先にいる人は殺生をしていますので、それを追認し肯定することになると思います。またスーパーで肉片を買って食べることも殺生の外部化にすぎないと思います。

2012-03-18 18:22:28
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika それは、考えすぎだし余計なお世話ではないかと思います。自殺するか、現状を全肯定して開き直るか、という風に人を追い込むような思考は時間の無駄なのでしません。それよりは自分にできる範囲で善行為した方がよいでしょう。

2012-03-18 19:28:53
森岡正博 Masahiro Morioka @Sukuitohananika

@naagita なるほど。私は哲学者なので自分自身の問題としてその一見「時間の無駄」に見えるような問題を突き詰めていきたいと思います。なにが「善」かということも含め。

2012-03-18 19:33:47
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@Sukuitohananika …というのは実践面の間口を狭めてはならないという話です。生の矛盾を外部化することで現れる問題、内には差別、外には植民地主義などは直視すべきと思います。矛盾解消は無理にしても、緩和なり最小化なりの方策は提示して、率先してやりたいとも思います。

2012-03-18 19:44:11