- bot_miura9
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さて、今日まで毎晩古事記について語っていたが、付き合ってくれたフォロワーの皆には感謝している。有難う。お前、何時代のbotだよと思われてるかもしれんが……オレをフォローしているという事は少なからず「歴史好き」という事だろう。歴史を学ぶという事はルーツを知るという事でもあるな。
2012-03-18 23:37:05では、どうやって歴史を学んだだろうか。授業や講義で教わった、史料を直接読んだ。今の世ではネットという便利なものもあるしなw 色々な形があるだろう。ではその授業・講義の講師、サイトの管理者……そして古事記の編纂者は、どうして歴史を「伝えたい」と思ったのだろうか。
2012-03-18 23:42:05それもまぁ色々あるだろうが最も単純な事は「知って欲しい」のということではないだろうか。昔どんな人物がいたか、どんな事があったのか。学び、知り、そして伝える。これが「歴史」というものなのだろう。難しく考える必要はないし大それた事をする必要もない。それだけで誰でも歴史の一部となれる。
2012-03-18 23:47:04ん? どうした息子たち。 「よくわかんない」かw ……ま、今は解らなくてもいつか大きくなって、子ができて、昔話をしたくなった時にでも解るさ。 ……お前らは、どうやって話すんだろうなぁ。
2012-03-18 23:52:05。oO(こうしてトゥルン神話は語り継がれるのか…)【倭男具那王】 RT bot_miura9: ん? どうした息子たち。 「よくわかんない」かw ……ま、今は解らなくてもいつか大きくなって、子ができて、昔話をしたくなった時にでも解るさ。 ……お前らは、どうやって話すんだろうなぁ。
2012-03-18 23:57:49そして皆も、なめこ汁を飲む度に思い出して欲しい。なめこ汁トゥルントゥルンしながら古事記を語ったbotがいたことを……そして、そのbotは承久の乱で宮方で戦った三浦胤義という武士だということも!!
2012-03-18 23:57:05ちなみになめこで語った承久の乱もあるぞw ※なめこ事記よりさらに多いトゥルン感注意→ http://t.co/ypw0QuOK ……というわけで、今日の話で、ここまでだ。もう寝なさい。
2012-03-19 00:02:05というわけで、私からも。
二週間近くの間、胤義様の語りに付き合ってくださって有難うございました。
有難い事に「面白かった」と言って下さった方がいらっしゃった事が、何よりの褒美でございます。
古事記の成り立ちは、胤義様が仰ったように、
「語り部」が語る物語を書き留めたものです。
日本書紀の方も、同じく天武天皇が命じたのですが、
こちらは当時あった色々な文献を参考に作られ、多くの人員を割き、学者たちが頭を寄せて作った「歴史書」という意味合いが強いのです。
では何故、同じ神話を語るものを二つ作ったのでしょうか。
それは「しっかりとした史実」と「面白おかしく語り継がれる物語」二つを残したかったのではないのでしょうか。
それは丁度「史実をネタに面白おかしく遊ぶ歴史人物bot」に繋がるのではないでしょうか。……大げさですかねw
古事記編纂一三〇〇年。
鎌倉の世も今の世も、同じように古事記の物語は語られてきました。
きっとこれからも語り継がれる「最古の物語」です。
「歴史」が「物語」として人々の心に残ってくれたら、
きっとそれは先人たちの歩んだ「人生」が報われたという証となるのではないのでしょうか。
今回の話、そして「三浦胤義bot」が
皆様の心に残る「物語の一つ」となっていれば幸いです。
では以上……
語り部は三浦九郎判官胤義。
補足解説はその郎党、藤の四郎入道でした!!