「死」について想うこと。

生き物はどうして死ぬの、と子どもに聞かれたら? そんなハッシュタグの呟きから始まった、私と皆さんの「死」について想っていることの、あれこれです。 ※どなたでも編集可能となっております。  呟きの引用に問題などありましたら、自力で削除も可能なようです。
2
夢望ここる @yume_nozomi

@yukari_fuji 終着ではなく通過、というところが素敵と思います。死んでしまったら終わりではないの? あくまで通過ってどういうこと、続きはあるの? 自分は死んじゃっているのに? などなど、考えはめぐります。そうして巡らせることで、死の恐怖を緩和しているのかも……。

2012-03-24 00:38:17
夢望ここる @yume_nozomi

ちなみに。小学校入学前から「しのきょうふ」に囚われて以降、夜な夜な「しのきょうふ」に襲われては、ぬいぐるみを抱っこしながらえぐえぐと泣いていた私。小学校3年生くらいのとき、対処法を見つけたのでした。――死ぬってことを考えない! これでした(笑

2012-03-24 00:28:40
夢望ここる @yume_nozomi

というよりも、考えてもいつか、ひとは死んじゃう。だったら今考えていても仕方ないし、怖いだけだし、どうにもならないし、一旦やめにしよう……という結論を出したのでした。どれだけ泣いても叫んでも喚いても「どうにもならないことが、世の中にはある」と痛感した瞬間だったのかもしれません。

2012-03-24 00:30:21
夢望ここる @yume_nozomi

それ以降、「死」についてあまり深く考えるのはやめにしていました。だって怖いのですもの。幽霊やホラーと違って、怪物をやっつけたり、逃げ切ったりなどで対処ができませんものね。いつまでもいつまでも、しつこくついてきて。そして極めつけは「いつか自分も死がやってくる」という絶対の未来……!

2012-03-24 00:33:51
夢望ここる @yume_nozomi

「死の恐怖」は、絶対の恐怖。死を受け入れられない限りは、それを与えてくるような精神攻撃って、実は最強なのではないかしら? なんて、創作に結びつけることも。直接に死を意識しないための、セーフティなのかもしれません。

2012-03-24 00:36:33
夢望ここる @yume_nozomi

死は誰にもやってくる。だから怖くて怯える……だけですと、もう生きることが満足にできなくなっちゃいますよね。何をしてても「でも死んじゃう」と怖くなっていては、前に進めませんし、何より生きてる時間が勿体無いですものね。だからたぶん、いっぱい怖がった後は(続く)

2012-03-24 00:42:35
夢望ここる @yume_nozomi

「いつか死んじゃう。じゃあ死ぬまでどうしようか」と考える方が、健康的かもしれません。あるいは「死んだ後のことを考えて何かをする」だとかでしょうか。そうして死を終着ではなくて通過でると考えられるようになる(死の先を見つめられる)と、新しい何かがあるのかも、しれません。

2012-03-24 00:45:00
夢望ここる @yume_nozomi

死に囚われてはいけません。けれど、死を忘れてはいけません。死に恐怖してください。けれど、死に怯えてばかりではいけません。――こんな感じ、なのかしら。

2012-03-24 00:46:44
@gomawatari

@yume_nozomi 死は誰にでも訪れるから世の中で一番平等なもの。あの人もこの人もえらい人もえらくない人も全部自分と同じ、という考えを与えてくれるものだったりします。私にとっては、ですが。死を美化するわけではないですが、ものは考えよう、ですね。

2012-03-24 01:12:38
夢望ここる @yume_nozomi

@gomawatari 死が平等であるからこそ、ひとは不老不死に憧れたりして。それが伝説の何かを生み出したり、御伽噺などの文学を作り出すのかもしれませんね。死も生も、いのちのエネルギーの在り方なのかもしれません。

2012-03-24 11:05:55