久保田裕之さんとクーコさんとのシェアハウスについての一連のツイート
@yamtom 不思議なのは、なんでやりとりしている間中、泣けて泣けてしょうがなかったのかなあ、ってことです。何が私悲しかったんだろうって。なんなんでしょうね?
2012-03-26 01:09:37@kuko_stratos 悲しかったってのはやりとりからもちょっとわかる気がします。いろんな意味で、当事者の多様な現実への向き合い方にしろ、現実社会のありようにしろ、当事者が抱える「思い」の捉え方にしろ、言葉の使い方にしろ、いろいろずれてしまったのかなあという印象。
2012-03-26 01:12:42@yamtom 学問/研究と運動/現場はどういう関係なのか、どう関係づけるのかという問いは、フェミニズム界隈ではそれ自体が血肉となっていますが、おそらくゆうべの久保田先生の話では、その2つをあえて混ぜないでおこうという力を感じて、そこがもどかしかったのかも知れません。
2012-03-26 01:16:54@kuko_stratos ああたしかにね。「専門家」であることへのこだわりを端々から感じさせ、とにかく理論とか既存の研究から話しをもってくる的なところは感じました。そのために一番大事なはずの現在そこにいる当事者の声が消されてしまいかねないという状態だったようにもみえます。
2012-03-26 01:28:08@yamtom 理論や既存の研究などの豊富な見識は自分の中にしっかりおいといて、「それについての自分のスタンス」でもって今目の前にある当事者や現場と語り合う、というのが、私の知るフェミの学者さんだったし、そこでは知への尊敬はあるけど人としては対等なんですよね。
2012-03-26 01:34:30@kuko_stratos そもそもこういう分野での「理論」は目の前の現実からつくりだされていくべきものだと私は思うので、目の前の当事者や現場とむきあって語り合うのは必須なような気がします。
2012-03-26 01:37:06@yamtom 当事者を前にして語る時、やっぱり「そのしんどさを一緒にどうにかしたいんだ」という思いは必須だし、それがなければ当事者は語るメリットがないんですよね。それを後にして、状況ばかりを見せられても、状況はつらいものと相場が決まっているので、しんどさばかりがつのりますね…
2012-03-26 01:41:02@kuko_stratos そうですね。その思いは必須だと本当に思います。私自身も人々に関して調査する人なので、それは本当に身につまされます。
2012-03-26 01:55:33@yamtom 以前当の久保田先生が「社会学者が目指すものは何?」みたいな投げかけを同じ社会学者クラスタに対してされていたような記憶があります。私は社会学者ではありませんが、そんなもん「人々の幸せ」即答やろと思いました。だからこそ学と官と産とみんながつながれるんやろと。
2012-03-26 02:02:57@yamtom まあその根底に流れるもののあるなし、伝わる伝わらないが、その場をそこに関わるすべての立場の人にとって安心安全なものにするかしないかを分けるのかななんて今思いました。
2012-03-26 02:04:13