80年代イギリスの新聞、テレビなどのメディアに関してつぶやいたことのまとめ
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再びRobert Maxwellに戻ると、ミラーを買った当初、Robertは新聞を私物化。編集者を変えて、反炭鉱スト寄りの紙面構成に変えた。また自分自身について新聞で宣伝。この文脈に、彼のBand Aid支援がある。
2012-03-29 11:42:43サン紙との戦いに敗れ、発行部数の落ち込んだMirror立て直しのため、RobertはRichard Stottを使う。紙面を変えて販売部数を回復する。
2012-03-29 11:46:23訂正:Maxwellの使い込みが分かったのは、死語。「ミラーを救った男」という追悼文の4週後、「5億2600万ポンドが不明」の見出し。
2012-03-29 11:51:48他方、保守党支持のConrad Blackが雇用したMax Hastingsの元で、人員入れ替えが行われ、TelegraphはTimesの左に位置することに。サッチャーの娘Carolも解雇され、首相はこれを侮辱と受け取った。
2012-03-29 12:03:10Maxに対して保守党政治家「首相の娘を解雇するなんて許されないことだ。そしてこう付け加えておく。もし首を切ったのがマーク(双子の兄)だったとしても、テレグラフの編集長の職から解いてやるからな。」(首相の息子が保守党議員からどう思われていたかを示す。)
2012-03-29 12:06:47新聞に電子製版が導入されるまでは、活字を拾う職人の力が強かった。職人がストを起こせば、新聞が出ないことになるからだ。
2012-03-29 15:51:30新聞社の組合の力を示す例。写真1はサン紙の早版。NUMのスカーギルが敬礼をしているような姿で捉えられた写真。見出しは「わが総統」。写真2は同日の後の版。「印刷工組合が写真と文字の掲載に反対したため、遺憾ながらどちらも掲載しません」とある。http://t.co/a9eYqKXG
2012-03-29 15:57:36The Timesの場合、マードックの前のオーナーが、新しい機械を導入しようとしたところ、組合との対立に発展し、1978年12月から翌年11月まで新聞の発行が止まったことがある。ストが終わって数ヶ月後に記者がストを行い、結果、オーナーは1980年10月に新聞を売りに出した。
2012-03-29 16:04:06他方で、Selim 'Eddie' Shahが、フリーの新聞を電子製版で印刷することを巡り、印刷組合と対立。高等法院で非組合員の雇用が認められる。1986年には電子製版で印刷された初の全国紙、Todayを発刊した。印刷組合からの雇用ではなく、電気工組合の組合員を雇用した。
2012-03-29 16:24:56Wapping - 25 years on: http://t.co/1aR8q1wt @youtubeさんから ウォッピング争議のビデオ
2012-03-29 17:20:48経過。1979年、ルパート・マードック、ロンドン、ドックランズにあるウォッピングに、電子写植が可能な印刷工場を新設。大衆紙の印刷を予定したが、労使間で合意に至らず。1985年2月、Evening Standardに対抗する新夕刊紙を発行紙、新工場での印刷を発表。
2012-03-29 17:24:52しかし、これはブラフ。新しい新聞の編集者を集める一方で、アメリカの技術者が新工場のセットアップを進め、マードックが所有する4紙全部が印刷できるようにした。これで印刷工組合の組合員を雇用せずに、記者が直接記事を入力できるようになった。
2012-03-29 17:27:21一方で、鉄道労働者の組合員が印刷工組合を支援し、新聞の輸送をサボタージュする可能性があったため、オーストラリアの会社と契約し、トラック輸送の準備を整えた。86年終わりに、新工場での4紙発行を発表。翌年1月、印刷工組合がストに入ると、直ちに参加者5000人を解雇した。
2012-03-29 17:31:01このマードックのやり方には、記者の間からも反対の声があがった。しかし、看板のサン紙の記者の不満を知ったマードックは、10%の賃上げを行い、不満を封じた。1年以上後、争議は終了。新聞の発行を止められない組合員の負けだった。人員整理に必要な額の1/3から1/2が元職人に支払われた。
2012-03-29 17:35:46このウォッピング争議が重要なのは、政府の後ろ盾がある場合、会社側に一時的な損失を乗り切るだけの資金があれば、いかに組合が組織化されていようとも組合が負けるということが明らかになったことだ。この点で戦後の労働争議でもっとも重要な事件であった。
2012-03-29 17:48:37サンは完全に保守党支持の新聞に。EU域内統一通貨(現ユーロ)の提案に対して"Up Your Delors"「くそったれ、ドロール」(ドロールは当時のEU委員長)の見出しと二本指を立てた写真で統一通貨に反対し、統一通貨反対の首相を支持した。http://t.co/ue4Geers
2012-03-29 17:54:011992年の総選挙で保守党が再び過半数を取ると、"It's the Sun wot won it."「勝たせたのはサン紙だ」の見出しを掲げた。http://t.co/kO809wTM
2012-03-29 17:56:38ウォッピング争議の1年後、新しい印刷機械を使った日刊紙が新しく発行された。The Independentは、マードックの元を離れたい優れたジャーナリストを雇ったが、部数はなかなか伸びず、厳しい経営状態が続いた。
2012-03-29 18:04:31部数が盛り返したところで、The Independentはスクープを手に入れる。それは、元MI5のPeter Wrightが書いた"Spycatcher"(87)の原稿だった。政府は本の出版を差し止めようとしたが、オーストラリアでの出版を止めることはできなかった。
2012-03-29 18:07:41Spycatcher - Wright or Wrong? Part 1 of 6: http://t.co/o1sfT8SY @youtubeさんから Spycatcherのドキュメンタリ。
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