湯浅誠( @yuasamakoto )氏に対する毎日新聞のインタビューにみる現代日本の社会運動家の限界

以前書いた、飼い慣らしのプロセス関連のまとめと、関連する話題だと思ったので、作りました。 体制に入った社会運動家が、社会党にしろ、菅直人氏にしろ、湯浅氏にしろ、なぜ摩滅するのか?についての、良い示唆だと思ったので、まとめました。
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このテーマに対する、私なりの一つの答え

まとめ 社会運動の限界に対する考察対話 私は、平川先生は誠実な方だと思います。 誤魔化す事無く、私の問いに答えてくださっていますので……。 ただ、彼と私もまた、根本で別のベクトルを向いているのでしょう。 それでも、ホンキで国の将来を憂いていると思いました。 あなたは、ノルかソルか、どちらにしますか? 3087 pv 37 3 users

湯浅氏へのインタビュー

毎日新聞のネットでの記事です。
政府を批判していた社会運動家が政府に入って政策に携わるという、貴重な経験をされた方へのインタビュー。
その、言葉は重要だと思います
http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2012/03/30/20120330dde012040004000c.html

私の感想

巡礼者 @Hagiasophia765

これね。言ってる事全部間違いとは言わない。むしろ、調整の場=利権闘争の場なんだから当たり前。相手を切り捨てる覚悟が無いなら、政治するな。で、終わり。 > 湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/8OlUvj6x

2012-03-30 20:26:38
巡礼者 @Hagiasophia765

この人は、切捨てを排除したかったのか?、不正や無策を糾したかったのか?どっちなんだろうね。前者なら、ただの役立たずとも言える。 > 湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/8OlUvj6x

2012-03-30 20:28:56
巡礼者 @Hagiasophia765

それぞれの立場で、組織防衛をする調整の場では、説得力や大義名分は、標準的な理論武装でしかない。説得や無理解という言葉に惑わされるべきではない。> 湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/8OlUvj6x

2012-03-30 20:31:26
巡礼者 @Hagiasophia765

そもそも、相手の利益を奪う。相手を殺すという政策を、相手に納得させる事などできないのだ。そして、それらの政策のぶつかり合いが、社会構造の変更に他ならない。> 湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/8OlUvj6x

2012-03-30 20:32:57
巡礼者 @Hagiasophia765

もしも、この人物が真に「切捨て」と戦いたいなら、調整の場での処世術を身につけるのではなく、まずは「切捨て」を最小限にてきる社会設計を考えるべきだろう。彼にはそれが足りない> 湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/8OlUvj6x

2012-03-30 20:35:02

つまり

湯浅氏が、何をしたくて政府に入ったのかで、このインタビューの内容の重要性は変わってくると思う。
社会運動の限界についての考察対話のまとめで書いたように、政治闘争というのは、組織防衛と利害対立のぶつかり合いでしかない。
そういう場で、「切捨て排除を希望する」というのは、はっきり言って、銃弾の飛び交う戦場に、裸で飛び込むようなものだ。
撃ち殺されるか、無視されるかするだけだろう。

だが、そういう場に、「切り捨てを最小限にする社会を提案」して、飛び込むことは出来る。しかし、その場合も結局は、「その戦場で相手を切り捨てる」必要は出てくる。

そこを理解しているかどうかで、湯浅氏のこのメッセージの重要性は大きく変わってくる。

おまけ:切り捨てを最小限にする社会を提案 の一例

まとめ 努力というファンタジーと市場経済の限界について 努力というものが、成功という結果に至った行為に対する後付的評価でしかないなら、成功と努力の間に因果関係は無くなる。 成功と努力の間に因果関係がなくなるなら、デタラメな行動が成功に繋がる事も認める必要が出てくる。 すべての乱数行動に意味を見出すなら、一定のベクトルへの進行速度を比較する「競争」という概念が無意味なモノになる。 競争が無意味化すれば、競争行為によって「需要と供給」を調整するという市場のメカニズムが崩壊する。 そして、「需要と供給」の調整を市場のメカニズムではなく、ユビキタス技術によって可能としてしまえば、市場のメカニズムが不要になる。 相互に補完しあう競争原理と市場原理、この二つが「可視化」と「努力というファンタジー」によって、その補完関係を失いつつある。 競争原理をパートナーとしなくなった.. 2652 pv 22

このまとめは、あくまでも他の目的で書いたものなので、分かりにくいと思います。

補足すると、切捨てを最小限にすくなくするには、結局、相手を切り捨てるモチベーションを、コモンセンスとしても、システム設計としても排除していく必要があるという事です。そうすると、競争システムを残しつつも、敗者を殺害排除しないシステムが必要になる事になるというお話です。。

ちなみに、上のまとめは、そこを突き詰めていくと、「努力」という概念に重大な疑義が出てきてしまうというお話でもあります。