努力というファンタジーと市場経済の限界について
- Hagiasophia765
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「努力すれば報われる」というのは全くのウソで、実際にはある「成功」が発生した時点からその成功者の過去を遡り、その現象をうまく説明できそうな適当な理由が発見された時、それが「努力」と定義される
2009-08-22 15:33:52人間、[いくら労働投入してもゴールが見えない]というような事に手をつけようとは思わんからなー条件づけから言えば。特に普段やり慣れてないことに対しては。 @tacmasi
2011-12-25 19:18:30このRTの内容はたぶん正しい。しかし、これが正しいとなると、努力を引き出すという建前の下に維持されてきた競争原理と市場原理が、無意味なモノという事になる。需要と供給、進歩と競争に因果関係がなくなる。 @tacmasi https://t.co/XEeQTldp
2011-12-25 19:25:16それらに因果関係がなくなった時、人は需要と供給を管理するシステムとして、新たに市場原理と競争原理以外の別のシステムを必要とする事になる。それは、経済学の死とも言えるだろう。その是非はともかくとして、拒絶反応は起きるRT @tacmasi https://t.co/XEeQTldp
2011-12-25 19:27:26それこそ、政治と経済が、水道インフラ程度の意味しか持たない、新たな時代に突入するだろう。一般意志2.0で語られたSFの世界だ。ま、ポストサイバーパンクの作品ではわりと一般的な世界観ではあるけどね。 RT @tacmasi https://t.co/XEeQTldp
2011-12-25 19:29:56@gasyuu01 ワタクシが思うに、リンク先が正しい時に無意味になるのは労働価値説だけじゃないかなと。「競争原理と市場原理」というものは、「努力すれば報われる」ことが前提ではないのでは?
2011-12-25 19:38:29@tacmasi んじゃ、何が前提?すくなくとも、日本人の一般通念としてオレの認識はそれほど間違ってないと思うけど?そこを否定するところからスタートするなら、この話はしない方がいい。
2011-12-25 19:41:39@tacmasi 誤解の無いように書いておくけど、「努力すれば報われる」が一般通念ではないよ。競争努力が「進歩と効率」に対する必要条件だと言う話だよwで、競争努力は「無駄な努力」も込みの話。しかし、そこを否定すれば「競争原理」そのものが崩壊する。
2011-12-25 19:49:27このRTで重要なのは、ハエの乱数行動すらも人間の手にかかれば「努力というファンタジー」になり得る事を、示唆していることです。で、乱数行動を努力と称するなら、競争行為以外も努力という事になり、競争努力が幻想になる RT @tacmasi https://t.co/XEeQTldp
2011-12-25 19:52:20競争努力の価値が、幻想として崩壊すれば、そもそも「競争」する意味がなくなる。効率的な経営と努力・競争に因果関係が無いって話になるからね。すると、市場原理「需要と供給」の効率に必要なモノが別の何かという事になる。RT @tacmasi https://t.co/XEeQTldp
2011-12-25 19:55:06ちなみに、今の日本ではハエの乱数行動は、普通は努力と見なされない。「デタラメな目的の無い行為」は「努力とは言わないからね。しかし、このRTに従うなら、「努力かどうかは成果としか因果が無いという事になる」RT @tacmasi https://t.co/XEeQTldp
2011-12-25 19:57:48まあ、この「努力かどうかは成果としか因果関係がない」という認識が、今の日本の一般通念と反するという認識が、そもそも間違ってますって話なら、そもそも対話は成立しないので本当に、話はこれでおしまいです RT @tacmasi https://t.co/XEeQTldp
2011-12-25 20:01:49「努力かどうかは成果としか因果関係がない」なんて話があるなら、「無駄な努力」なんていう日本語は無いわけです。しかし、先ほどのRTの示唆。つまり、市場原理を突き詰めていくと、実は「無駄な努力」なんてものは幻想で、成果に結びつかない行動は努力と呼ばないとなると、色々整理できる訳です
2011-12-25 20:04:03まあ、経済学者には、この話は受け入れがたいだろうな。なんせ、よって立つ市場原理という基盤そのものが、実は人間観察の初期段階で狂ってました。って話になるからなぁ。ま、経済学が人文科学ですと分類される所以でもある。人文科学は、どんなに数式を用いようとも、証明できる事象は扱ってない
2011-12-25 20:06:20市場原理を突き詰めることは、実は進歩と発展の元となる「無駄な努力」をすべて切り捨てる事になる。で、それを理解していた、経済学者たちは「市場原理と競争原理の無謬性の間違い」を理解していながらも、維持する為に「公共の福祉」という概念を持ち出さざるおえなかった。
2011-12-25 20:16:12この辺も、結局は「需要と供給」を調査検証する、web以上のテクノロジーが存在しなかったところに起因すると思うけどね。そう考えると、ユビキタス社会で需要と供給をとことん可視化できるなら、実は「競争原理と市場原理」はそれほど重要ではないという話になる。
2011-12-25 20:17:59進歩と発展には「競争」とそれと相互補完関係にある「市場」が、必要という認識は、絶対に人類にあったと思う。それは、過去のスピーチや歴史を紐解けば自明の理だ。しかし、それらはあくまでも、「需要と供給」を可視化できなかったから存在した認識でしかなかったとすると……。
2011-12-25 20:22:33この辺も、結局は一般意志2.0的な「可視化」による社会の変化の一環なんだと思う。今の社会で巻き起こっている社会問題や、各種不満も、「可視化」された状況と「不可視」前提の社会システムの齟齬が根本原因だと思う。
2011-12-25 20:24:15けどねぇ。だからこそ、ディストピアへの大きな曲がり角なんだよねぇ。可視化の利便性は、諸刃の刃w 「個人対「集団」という根本問題、囚人のジレンマを解決できない限り、それは恐怖支配の道具にしかならない。まさに、ユートピアとディストピアの両方への鍵なんだよねぇ。
2011-12-25 20:27:14@gasyuu01 これはどうも。こちらの思っていることは:まずは「市場原理」を「需要と供給が一致する点に価格・数量が収束する」こととするなら、これは努力の定義云々とは独立に成り立つんでないかな、というのが一つ。
2011-12-25 20:34:29