印刷史から見た外交文書
長崎新町活版所が刷ってた『組織神学』(明二十) http://t.co/KLZfjox6 を見直しててふと。「ヴィ」「フィ」の類は「拗音」や「促音」じゃない筈と思うんだけど、何て呼べば?「外来音」とか?
2012-03-30 22:59:54昭和13年外務省の電報。捨て仮名は使っていない。内容については言及しないことにするが、これが本来の私の専攻だった分野。 http://t.co/sJZxDAdZ
2012-03-30 23:21:16四分アケ組版ですね。そういえば裁判用文書は、今でも四分アケをPCで再現しているとか。RT @0guma: 昭和13年外務省の電報。捨て仮名は使っていない。内容については言及しないことにするが、これが本来の私の専攻だった分野。 http://t.co/oZfIJsry
2012-03-30 23:25:17それにつけても劇的な内容ですこと。RT @0guma: 昭和13年外務省の電報。捨て仮名は使っていない。内容については言及しないことにするが、これが本来の私の専攻だった分野。 http://t.co/oZfIJsry
2012-03-30 23:26:46明治43年3月9日の東京朝日新聞。外信が多い面をスキャンしてみた。片仮名を小書きにはしていない。音引きは使っているが、禁則はしていない。 http://t.co/hB25xQ1H
2012-03-30 23:53:53@0guma @ogwata 外来語部分をかぎ括弧でくくるのではなくゴシックにしているのですね!これは和文タイプライターで公使館の用紙に印字したものですか?
2012-03-30 23:57:04@2SC1815J @ogwata 実物を見たのはもう20年近く前の話で、うろ覚えなのですが……赤罫線の用紙にブルーブラックのインクだったような。upしたのは当時取った複写(白黒)をスキャンしたものです。今の知識で見ると、活版ではないかと。罫線の四隅が切れているので。
2012-03-31 00:01:10@0guma よく見たら、これ電報じゃなくて普通(?)の外交文書だ。外交行嚢に入れられて一ヶ月半近くかけてスイスから本省に送られてるやつだ。でもそしたら、スイス公使館には印刷設備があったってことなのかしらん? 当時は考えもしなかった謎があるものだ。
2012-03-31 00:08:29同様の電報で小書きの仮名も用いているものがありました。昭和13年12月25日 発:在瑞西特命全権公使天羽英二 宛:外務大臣有田八郎 http://t.co/dQ5NVYtj @0guma @ogwata
2012-03-31 00:30:52@2SC1815J @0guma @ogwata でもこれ、手書きで後から書き加えたものかもしれませんね。便箋が公使館のものなので(便箋の罫線は活版印刷)、電報を送った控えを公使館で和文タイプライターで印字したものなのかなと想像しました。
2012-03-31 00:37:11@2SC1815J @ogwata 欧文部分は明らかにタイプライタだよね……。一度和文を空白を入れて打ったか刷ったかした後に、欧文タイプライタに用紙を挟んでその部分だけタイプしたりしたんだろうか。
2012-03-31 00:38:54@2SC1815J @ogwata あと、先の私のスキャンもそうなのですが、電報ではなくて、外交行嚢に入れて送られた外交郵便だと思います。右下に、本省が受け取った日付が入っています。
2012-03-31 00:40:06学生時代、近現代歴史学専攻→外交資料館や防衛研究所史料閲覧室で紙の山に埋もれる→電子化、DB化が必要だ!→図情大へ→文献DB作るにはまずは文字コードから→とりあえず漢字なんとかせんとな→戻れなくなる
2012-03-31 00:52:20@0guma @ogwata 「接受」の部分ですね。納得です。とすると、やはり、あのように印字できる設備が公使館にあったわけですね。
2012-03-31 00:54:52@2SC1815J @ogwata しかし、凄い手間だな。手書きの部分などはアキにしてある定形だったんだろうし、本文は印刷。欧文部分はタイプライタ。接受部も後で埋め込んでる。手書きで修正した跡があるから、タイプほど簡単に打ち直せなかった、と。学生時代は考えもしなかったけど……。
2012-03-31 01:02:09明三三『実験幼年遊戯前編』中の唱歌 http://t.co/moK4yJ9t を見てると、拍と綴りの関係で色々と苦労・工夫の跡が。
2012-03-31 05:19:30