花村萬月氏の度迫力のある連ツイをまとめました。

花村萬月氏が、主としてご自身の著作「武蔵」第二巻から抜粋された迫力ある一連のツイートをまとめさせて頂きました。  現地に何度も足を運び、数多くの資料を読み込みんだことが簡潔な文体からヒシヒシと伝わってきた。私の30年以上に及ぶ、ある体験ともぴたりと重なり、かつそれを補う記述があることから、他の部分の信憑性も極めて高いと判断した。面白い。すばらしい。
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花村萬月 @bubiwohanamura

 Rといっしょに瓜生山。〈武蔵〉にも書いたのだが、平安京造営にはここの石が使われた。今日はその痕跡を発見。荒れ放題の登山道の両側に細工を施された巨岩が大量に打ち棄てられていた。巨大な石灯籠と思われる。なぜ放置されたかは、知る由もない。

2012-04-08 17:27:43
花村萬月 @bubiwohanamura

以下は〈武蔵〉第二巻より──瓜生山は太古、溶岩が噴火をともなわずに貫入し突出して凝固したもので、表面は堆積した土に覆われてはいるが、花崗岩の巨大な塊から成っている。

2012-04-08 17:29:10
花村萬月 @bubiwohanamura

 とりわけ、いま道林坊と弁之助の立つ清沢口あたりは花崗岩が大規模に露出していて、壮観である。平安京造営からはじまって、京の建築に用いた石材のほとんどは瓜生山より切りだされたという。

2012-04-08 17:29:30
花村萬月 @bubiwohanamura

「白川の男たちは、この白川石を切りだす石工であり、女たちはといえば花売りになったというわけだなあ」  男が石工というのはわかる。女の花売りとはどういうことか。 「白川女を知らないかなあ」

2012-04-08 17:30:03
花村萬月 @bubiwohanamura

 白川の流れは、雨水が花崗岩の山肌を削ってできあがったものだが、気の遠くなるような年月を経て、水流と陽光により花崗岩は砂となった。流れは当然のこととして、陽射しは岩をも砕くのである。その砂が白川に運ばれて瓜生山西麓に堆積した。白川一帯は植物栽培の適地となり、花畑がつくられた。

2012-04-08 17:30:27
花村萬月 @bubiwohanamura

「白川の女は草花を育てることを生業としたというわけだなあ。生花および仏花は白川女ということになったんだねえ。なにしろ寺がやたらと多い京だからね、花売りが商いになってしまうわけだよ」

2012-04-08 17:30:59
花村萬月 @bubiwohanamura

 人は食うばかりが能ではない、というわけか。弁之助の育った美作は讃甘郷中では、花売りなどありえぬことだ。露頭している花崗岩を見やり、弁之助は神妙に道林坊の講釈に耳を傾ける。

2012-04-08 17:31:09
花村萬月 @bubiwohanamura

「白川石は白色にして緻密。白川の名もこの石の砂が白いから流れが白く輝いて見えることからついたんだねえ」 「すると白川という土地は瓜生山に育まれたわけですね」  道林坊が大きく頷く。

2012-04-08 17:31:49
花村萬月 @bubiwohanamura

「そればかりか、京の街をつくりあげたものでもあるんだなあ。京の大きな建物に使われている石のほとんどは白川石なんだから。石灯籠とか手水鉢も白川石がいちばんというねえ。白川石をわざわざ風化させたものが白川砂で、これまた敷砂として珍重されているんだなあ」

2012-04-08 17:32:05
花村萬月 @bubiwohanamura

 花崗岩の岸壁には、切りだしのときに穿ったと思われる丸い穴が幾つも開けられているが、いまは無人だ。秀吉による巨大建造物構築も一段落してしまったからだろうか。

2012-04-08 17:32:13
花村萬月 @bubiwohanamura

しかし、いつの時代のものか、細工を施したまま打ち棄てられた巨岩の群れは、平安京造営の夢の跡といった趣でした。

2012-04-08 17:35:18
花村萬月 @bubiwohanamura

ちなみに哲学の道の桜は五分咲きといったところ、大量の観光客が群れていて、自転車を走らせるのに難儀した……。

2012-04-08 17:37:49
花村萬月 @bubiwohanamura

観光客の皆さんは誤解しているけれど、哲学の道、疏水脇の道路は自動車道です。皆、歩道と勘違いしている。地元の人間は大量の人出で自動車で外出もままならず、この時期はあきらめ顔です。

2012-04-08 17:39:37