- sasakiyusuke
- 6599
- 0
- 0
- 1
ついつい「ユリイカ」を思い出しちゃいました。「ロードムービー」や「故郷喪失」、何よりラストの処理の点で「アトモスフィア」と「ユリイカ」も比較できるんですが、まあひとまず置いときます。置いときっぱなしにする可能盛大ですが。
2012-04-14 01:47:42「アトモスフィア」は、いくつかのストーリーが錯綜して走っている。丁寧に読み解くことも可能なんでしょうけど、それにはあまり意味がないようにも思える。ストーリーの中心(のようなもの)に見える夫婦の話をテレビ的に処理することで、ストーリーのヒエラルキー(?)を無効化してるんですね。
2012-04-14 01:58:33「アトモスフィア」は夢の映画なわけです。夢にヒエラルキーはない。主人公でさえも「信用できない語り手」と化す。だから、どこでどう辻褄があってるのかより、誰の夢なのか、何故そんな夢を見ているのか、のほうが重要に思える。夢分析は好きじゃないんですけどね。
2012-04-14 02:07:47夢が現実を浸食していく。夢の中で誰かに見られているようで、恐怖を覚える。でも、その「現実」も、テレビの如き、ホームビデオの如きものである。つまり、誰かに見られている存在、「夢」であると。
2012-04-14 02:11:52これ一種のネタバレかもしれませんが、「アトモスフィア」は黒澤の「夢」に捧げられている。日本映画の頂点のように扱われる黒澤映画を、ホームビデオでやっちゃうところが小気味いいですね。けど見た人はみんな思うわけです。これって「八月の狂詩曲」でもあるじゃんと。
2012-04-14 02:16:44主人公の妻は、失われた子供が本来生きていたら、と想う。それはヴィラ・ラクテアという土地との、「あったはずだった記憶」としてワンセットである。しかし、夫婦はその可能性も閉ざされる。そこで夫婦はある抵抗を行う。それが、「夢」を重ねることである。
2012-04-14 02:24:34錯綜する「夢」の結果、何に準拠すればいいのか分からない場所に、受け手は立ってしまう(夢ですからね)。悪夢に悩む主人公夫婦も、不可解なメールや繰り返される歴史の中で(夫の祖母の話)、本当に彼らは存在していたのか、分からないところに立ってしまう。
2012-04-14 02:40:56となるとヴィラ・ラクテアという住宅地も、本当にあったのか不確かになってしまう。でもそこがミソなわけです。どこにでもあるような郊外が、ある理由により闇に葬られていく。見れば分かりますが、とても切実なものです。これを語るのか、だから「アトモスフィア」なのかと、ちょっと驚きました。
2012-04-14 02:43:44夫婦は誰かの夢の中で、誰かの「ホームビデオ」の中で、「生まれてくるはずだった子供」のため、「生まれてくるはずだった土地の記憶」のため、さっきも言った抵抗を図る。ひとつだけ灯っていた明かりが、失われていくヴィラ・ラクテアの「記憶」と共に消えていく。これが実に泣けるのです。
2012-04-14 02:47:02ここでやっと戻るんですが。パリテキでは、「失われた神話」だろうと帰るべき場所はあったし、そういう男のロマンティシズムがまだ存在していた。もう戻れないとしても、「ホームムービー」は、8ミリフィルムとして、見ることはできた。
2012-04-14 02:55:10「アトモスフィア」ではどうか。「神話」や「聖地」などもうないかもしれないけど、「故郷」になれるかもしれない場所は、まだあったんです。だけど、もう「故郷になれるかもしれなかった場所」には(ある理由で)戻れない。
2012-04-14 02:56:15前作「新景カサネガフチ」では、こんなどこでもあるような「場所」だけど、もしかしたらここから初めることができるんじゃないかと肯定する方法を、探ろうとすることがかろうじてできたように思った。しかし「アトモスフィア」ではそれが絶たれてしまう。そんなときに、何ができるかということだ。
2012-04-14 03:01:55「神話」から遠く離れたヴェンダースは、知恵を絞って「パリ、テキサス」を撮った。いわば、ハリー・ディーン・スタントンが置き去りにした妻と子が、今の我々なのだ。「神話」などないが、ささやかなれど「新たな神話」が紡げるかもしれない場所。
2012-04-14 03:07:27あの夫婦は言ってみればハリー・ディーン・スタントンなんでしょう。ではナターシャ・キンスキーと、あの子供は誰に当たるのか?それはちょっとここでは言えない。
2012-04-14 03:09:59「カサネ」もそうだったけど、「アトモスフィア」も土地の記名性を曖昧にすることで、「これはわたしの話だ」と思わせるところがある。しかし、今回ほどそれが切実に思えることはなかったろう。
2012-04-14 03:13:07ちょっと引っかかったところを最後にメモッとこう。この長々としたツイートは個人的な、ほとんどメモなんです。本当にすみません。佐々木作品には、特に「カサネ」から、「原罪」みたいなものが重く流れているんだけど。ここまで強くリフレインされるのは何故なんだろうなあ。
2012-04-14 03:26:06しかし二重に「故郷喪失」した佐々木映画は何処へ行くのだろう。もしかしたらこれから、佐々木流ロードムービーが見られるのだろうか?と思うと、胸が高鳴ってしまう。違うんだろうけど…。
2012-04-14 03:31:09ところで「アトモスフィア」を「ベルリン天使の詩」と比べることもできるんですよね。「ベルリン」「エンジェル」で。でももう限界なんで寝ます。
2012-04-14 03:32:39新宿眼科画廊で佐々木友輔さんの「アトモスフィア」見ました。難しいモチーフを難しい方法で作品化してたけどとっても上手くて二時間あっという間でした、面白かった。
2012-04-14 19:22:37『アトモスフィア』佐々木友輔監督/新宿眼科画廊、を観た。本当に素晴らしい映画でした。。。まだ胸の奥に映画の感触が残っています。。トポフィリア、場所への愛が具現化された作品だと思う。
2012-04-14 21:33:08どこか郊外に生活する若い夫婦。子どもと住まいを失うことになるが、最後まで家を離れようとしない。電気を停められるその瞬間まで、子どもがいたかもしれないフィクションを夫婦で語りあう。そういった情景を通じて、郊外のこの土地を愛することができるのか、肯定できるかのが考えられていたと思う。
2012-04-14 21:49:39