若槻礼次郎に関する考察

@NaoyaSugitani 氏による、 第一次若槻内閣期の党運営と解散回避をめぐる若干の考察
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@NaoyaSugitani

こうして若槻=失敗の政治家というイメージは今に至るまで定着し続けている。確かにそれは若槻の一面をとらえている。だが、一方でロンドン条約の功績や重臣期の活動等は等閑に付されてしまっている。果して彼は近現代史にどんな役割を果たした政治家なのだろうか。

2012-04-24 20:18:35
@NaoyaSugitani

確かに奈良岡氏の言う通り、加藤存命ならば全てのことはもう少しスムーズにいったかもしれない(ただ金解禁など経済界の強い主張に加藤が抗し切れたかどうかは不明)。だが私は加藤が仮に存命でも結果はそれほど劇的には変わらなかったようにも思う。加藤の手腕でどこまで時局に抗せたかは分からない。

2012-04-24 20:20:34
@NaoyaSugitani

だが世界恐慌と中国ナショナリズムの台頭に対して、政党政治はどこまで対応できただろうか。もし加藤が存命で解散し、政友会・憲政会・政友本党の三棟鼎立もしくは二大政党制(これはまだ実現していなかったかもしれない)が確立していたとしても、不完全な政党制の崩壊は免れなかったようにも思う。

2012-04-24 20:22:17
@NaoyaSugitani

若槻が解散を回避したのは二大政党制の成立を早めたことに間違いは無い(尤もそれは早晩崩壊してしまうが)。加藤の立場で二大政党制を推し進めた場合、定着前に時局の急転で政党政治そのものが不完全なまま終了していた可能性もある。これは誰にもわからない。歴史にifは無い。

2012-04-24 20:24:00
@NaoyaSugitani

若槻礼次郎という政治家、あるいは政党政治そのものを考えた時、そこからは何が見えてくるだろうか。私は、現段階ではこういう見解にある。今後変わるだろうし変わらないかもしれない。だが一つ確かなことはこの歴史が何を語るのか、それに傾聴することが歴史家の義務であり使命である、ということだ。

2012-04-24 20:25:31
@NaoyaSugitani

そう考えると若槻ってどう考えても旧体制(桂園体制)の人間なんだよなあ。裏面の妥協と交渉で後はついてくると思っている。時代が変わったことに気付けなかったのも彼の失敗だろう。政党政治家としての自覚がもう少しあれば・・・彼は稀代の政治家になったかもしれない。全く総裁には向いてないな。

2012-04-24 20:30:25
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

@NaoyaSugitani (万雷の拍手) ここまで若槻礼次郎について語ってくれた人・モノは無い・・・ そして思うに、今言われたことを誰あろう「若槻礼次郎」当人が、一番自覚してたんじゃないかな、と。回顧録も、別に自分のやってきたことをひけらかすでもなく淡々と語れるような人だし。

2012-04-24 20:32:18
@NaoyaSugitani

散々奈良岡先生disった後で持ち上げるのも節操無いけど「若槻首相は、政策の内容面では動揺をあまり見せなかったが、権力行使をあまりにも知らなさ過ぎ、それゆねい政策を安定的に遂行することができなかった」という評価は正に至言だと思う。彼はやっぱり官僚・ブレーンの人間だなあ。

2012-04-24 20:32:31
@NaoyaSugitani

@hirataitaisho お騒がせして申し訳ありません。恐縮の至りです…。若槻は今なお言われている多くの批判を全て自覚的に把握、理解していたと思います。何せ回顧録の始まりが「さて、何から話そう」ですから。どこまでも官吏然とした人間だと思います。私にはそれが魅力的なのです。

2012-04-24 20:35:27