コミュニケーションの話
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つまり僕が言いたかったのは、「個人的な反省・思想転換とかはほとんど意味がない」ということではなくて、「意識的に行われる(=思考・理性の働きによって行われる)反省・思想転換の類は、<転換>と呼べるものではない場合が多い」ということでした。
2010-06-14 22:13:49「矛盾を矛盾のまま取り扱う」という態度が大事だと思われます。これは古武術研究家甲野善紀さんの言葉です。ただしこういう風に取り扱う、という心境になるには動機が必要で、それは意識することとかとは無関係に運命・偶然によってもたらされます。
2010-06-14 22:18:46甲野さんの場合も古武術に足を踏み入れたのは「動物と静かに暮らしたい」と思って畜産を志したら、入学した農大で「雌雄選別の結果、オスであるとわかった雛の群れをバケツに入れて長靴で踏み殺す」という行為が行われていることを目撃したからだったそうです。
2010-06-14 22:21:22その体験が、近代を支配する原則である「合理性」に決定的な疑いが湧いた瞬間だったようです。そういう自分で選んだわけではない偶然と言うか運命みたいなものによってしか人は動機付けされないのではないでしょうか。
2010-06-14 22:23:20さかのぼって言えば「動物と静かにくらしたい」という動機も、甲野さんが非常に話すのが苦手で、ほとんどまともに人と話すことが出来ない子供だった、という理由があるそうです。これも意識や理性で選ばれたものではありません。以って生まれた運命・偶然です。
2010-06-14 22:26:04そしてこういう偶然性は各々にあるはずです。こうした偶然性を大事にするのがR・ローティの思想「リベラル・アイロニー」に代表されるプラグマティズムなのではないでしょうか。
2010-06-14 22:28:28ローティのユートピアにおいては、甲野さんのような人の偶然性(性格・体験)も「近代社会・合理性に適応させろ」みたいに扱われて矯正される対象にはなりません。
2010-06-14 22:30:59この世には甲野さん以外にも引っ込み思案な人、物静かな人はいるはずです。甲野さんは古武術と出会うことで近代社会に抵抗する術を得たのでしょうが、そういう出会いが無かった人もいるはずです。
2010-06-14 22:32:48そういう人たちはおそらく非常に強く「外向」「思考」へと転換するように要請されて苦しい思いをしていることと思います。ローティの提示したユートピアはそういう人たちの偶然性もきちんと救い上げようとする、そんな世の中のことだと僕には見えました。
2010-06-14 22:33:47ですから僕の中ではニーチェに始まる現代思想も、古武術も、臨床心理的な知もプラグマティズムも、全部つながっています。それぞれが「こういう考え方もあるんだね」みたいな感じでネタ的に存在しているわけではありません。ブームとも何の関わりもありません。関わりがあるのは「僕自身」とだけです。
2010-06-14 22:37:46僕は大文字の「社会」がどうのこうの、ではなく、各人が各人の「僕(私)自身」についてきちんと(つまりもっと自由に)語る、表現できる世の中になれば良いと思っています。僕は思想とか批評に限定せず、世の中の創造的な行為全てにそういうことを期待しています。
2010-06-14 22:43:19