先に @drinami 先生に教えて頂いた、藤井直敬『つながる脳』(NTT出版)読んでいる。脳と身体、脳と現実、脳と社会を考える良書。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ 藤井先生は有名な研究者。 http://t.co/VECuuQDk
2012-05-02 20:37:20注意深く、小さな運動(ダイナミクス、プログラム)を積み重ねれば、僕たちの知らない全体が浮かび上がる。
2012-05-02 21:24:02.@NaotakaFujii RT @miyayou: 先に @drinami 先生に教えて頂いた、藤井直敬『つながる脳』(NTT出版)読んでいる。脳と身体、脳と現実、脳と社会を考える良書。…藤井先生は有名な研究者。 http://t.co/lp48inwv
2012-05-02 21:25:33我々はまず、身体的現実というものをAIに与えねばならないのです。それこそがゲームキャラクターに欠けているものです。それが色々な場所でユーザーに違和感を与えます。
2012-05-02 21:33:58CGと同じくゲームにおいてAIのリアリティが次世代において求められることになります。その場合に気をつけなければならないのは、AIには身体的現実、環境的現実、状況的現実、社会的現実など複数のリアリティが錯綜しているところです。これは人間にとっても同じことが言えます。
2012-05-02 21:42:34若い時には皆、自分のビジョンを世界に押し付けて、ドン・キホーテのように猛進する。僕はそんな人が好きなので、なにも世界を正しく認識することがすべてじゃないと思う。だいたい正しい認識なんてないんだから。だからそんな間違った思い込みで猛進する人工知能を作りたい。
2012-05-02 21:52:08サルとサルが出会うと必ずそこに上下関係(ソーシャル性)が発生する。では、AIとAIが出会ったときもそうあるべきではないのか?プリミティブな知性の積み重ねと抑圧が、思いもかけない高度な知性を実現する。
2012-05-02 22:02:22我々が作る日常と認識する世界は、それを通じて意識が生存を行うためのインターフェイスの空間です。そこでは高速回転する太陽系も、砂糖の溶け方も、分裂する細胞も現実の外にあるのです。だから日常に窮屈さを感じるなら、星の運行や土の中の微生物の活動を自分の現実に含ませてみることです
2012-05-02 22:18:56ファンタジーやノベルは日常の水平線の向こうに、普段隠蔽されている巨視的・微視的な世界は真上と真下にある。
2012-05-02 22:21:53既に人の認識がある次元で何を作っても、それは驚きになりません。それは既に日常だから。我々が日常という認識を形作る源泉たる原初世界にまで遡って創作を行い新しい認識対象を生み出すことによってのみ、それは芸術たり得るのです。
2012-05-02 22:28:27高度な知性であるほど、自分自身であることに、強烈なフィードバックを受ける。感じたこと、考えたことを含め自分自身であるという体験を対象化・相対化しながら、自分を持続させる。継続性には限界があり、我々は眠る。
2012-05-02 22:42:08我々は、世界自身ではなく、世界を体験する自分を継続させることで、認識の連続性を実現している。とすれば、人工知能はどうあるべきか?
2012-05-02 22:45:00加熱した思考によってではなく、思考する自分を認識することが、思考と競合することで、人は耐えられなくなる。
2012-05-02 22:49:57@miyayou すごく刺激的な見方です。しばし考えてしまいましたが、時間の軸とそれによって切られる、過去と未来くらいしか思いつきませんでした。まだ違和感。
2012-05-02 23:05:30対称なボードゲームが人と人の間にある動的な関係性を表現し探求して来たとすれば、非対称なデジタルゲームは人とAIの関係を表現し探求するもののはずだ。とすれば、デジタルゲームはまだ始まってすらいないのだ。
2012-05-02 23:16:45人間には少なくとも自分自身を主人公とする物語を作り出す力がある。人間は、それがどれだけ環境が強いるにしろ自分で生み出すにしろ、自分自身であるというコンテキストを生み出さずにはいられない。
2012-05-02 23:20:50