トラスクの親友

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トラスク @Trasque

小学校5年生の時、僕に一人の親友ができた。彼は問題児であり、恐らく学年のクラスメイトも、そして教師達も、彼には何かしらの「正体不明」な感覚を持っていたのではないかと、今では思う。

2012-05-07 20:56:01
トラスク @Trasque

小学5年といえば今から十五年ほど前だ。まだ「問題児」と言うと不良とかヤンキーとかチーマーとかいう類のもので、まだわかりやすい話だった。しかし、彼はそうではなかった。多分、彼が何を考えているか誰も読めず、なんとなく気持ち悪かったのではないかと思う。

2012-05-07 20:57:36
トラスク @Trasque

彼は僕らが小5の段階で、僕の通う学校に転校生としてやってきた。僕はずっと「おとなしい子」であり、授業態度はマジメで、先生の言うことはよくきく生徒だった。今でこそ問題視されているが「ききわけの良い子=評価が高い」そんな優等生(皮肉)だったのだ。

2012-05-07 20:58:58
トラスク @Trasque

彼はどうやら問題児らしいということは、転向してきてすぐに広まる事となった。不思議な事にそういう「空気」というものは誰かが明確に設定したというものでもないのに、瞬時に伝わるものだ。そしてそのイメージはかなり明確に共有されるものなのだろう。今思うと、そのように感じる。

2012-05-07 21:00:12
トラスク @Trasque

例えば遠足みたいなモノで列になって外を歩いていれば絶対に従わないし自由気ままに動いている。その辺の通行人にちょっかいを出しては爆笑していた。ヤンキーや不良という「突っ張って」いるのではなく、彼にはそれが自然だった。あまりに自然な「悪」…であった。

2012-05-07 21:01:55
トラスク @Trasque

「不良・ヤンキー」は問題児扱いされているが、それはそれでなんとかなっていた。PTAがどうというような話にはなっていなかった。(他校とのケンカみたいのはあったのかもしれないが、ツキモノみたいなものだ)しかし、彼はPTAに問題視され、話題に上げられるほどであった。

2012-05-07 21:04:11
トラスク @Trasque

不思議と彼と僕は意気投合した。僕は僕のままに(聞き分けの良い)優等生で、彼は彼のままに不気味な問題児であった。僕は彼を一度も「悪」だとは思う事はなかった。その行動は自然ではあったが、何か理由があるように思えてならなかったからだ。

2012-05-07 21:05:49
トラスク @Trasque

小学生前半から、僕は「誰がどんな風に自分を見ようと、その行動に非がなければ何も気にする事はない」というような、ある種冷めた対人価値観を持っていた。だからもし何かでいじめられるような事があっても「その行動をした」という点が絶対的に残る事こそが最終的なバックボーンになると思っていた。

2012-05-07 21:07:22
トラスク @Trasque

なので、たぶん、僕は誰に対してもほとんど変わらない態度で接していたように思う。そりゃもちろん特に仲の良い友人と、そうでない人との違いはある。ただ、特定のグループにいるということがなかったのは、恐らくそういった性質からきたものだろうと思う。

2012-05-07 21:08:44
トラスク @Trasque

後に彼から聞いた事だが「Tさんはあの時から落ち着いてて大人だと思ったよ。そのまま接してくれるのはTさんくらいだったなあ」と言っていた。小学生ながら、僕はクラスメイトのみんなが彼をどこか腫れ物を触るような態度で接しているのに気づいていた。

2012-05-07 21:11:14
トラスク @Trasque

そういうものが僕は嫌いだったから、多少意地を通した部分はある。でも、僕は嫌なものは嫌で、ダメなものはダメと素直に言うことにしていた。そのかわり、相手が求めなければこちらも深く関わろうとは思わなかった。

2012-05-07 21:12:14
トラスク @Trasque

彼の問題行動は笑って済ませられる(が先生は怒る)ものと、ちょっとそれはマズイだろうというものがあった。マズイと思ったものは正直に「お前そういうのはやめろよ」と僕は言っていた。しかし、中途半端な不良グループは彼が「突っ張って」そういうことをしていると勘違いし、一緒になろうとした。

2012-05-07 21:13:22
トラスク @Trasque

具体的に言えば小学生の時点で彼は窃盗をしたし(僕の目の前でした事はなかったから、話だけだけれど)、通りすがりの家族連れになにやら色々ちょっかい出したりという事があった。そういう事がたびたび起こると僕は直接彼に怒りをぶつけたし、そういう時の彼はマジメに話をきいてくれた。

2012-05-07 21:15:13
トラスク @Trasque

母はPTAの役員として頑張っていた。当時、朝8時に家を出て、夜22時に帰宅するようなハードワークを正社員としてやっていた。それでもPTA等には出席し、だれも役員に立候補せずに会議が終わらなくなると、母は決まって「それなら私がやる」と前にでてしまうのだ。

2012-05-07 21:16:56
トラスク @Trasque

彼の問題行動はPTAであげられた。彼は時々僕の家に遊びにくることもあった。母はよくもてなしてくれたと思う。彼も母には感謝していた。問題行動など、僕の家では一切起こさなかった。だから、母は彼を擁護した。(のだと僕はきいている)

2012-05-07 21:18:14
トラスク @Trasque

そんなだから、僕はある種特殊な「優等生」だった。多少のやんちゃはごくまれだから見逃された。(もちろん反省はした)誰もが友好的に接してくれたし、僕はそれに満足していた。

2012-05-07 21:19:41
トラスク @Trasque

ある転機が起こったのは、小6の時だった。マンモス校だからいつも人でごったがえしているのに、どこか不思議な静けさが一瞬だけ生まれていたのを覚えている。廊下で彼と並んで談笑しながら歩いていた。向こう側から当時の女性担任が歩いてくる。

2012-05-07 21:21:22
トラスク @Trasque

担任は言った「T君、どうしてきみが彼のようなのと仲良くしているの?」と。

2012-05-07 21:21:50
トラスク @Trasque

この時、僕にとって人生ではじめての「義憤」がうまれたんじゃないかと思っている。文字通り噴出した、というような感情がおなかの辺りに出ていた。2秒ほど止っていたような気がする。彼は何も言わなかった。僕は何と答えたのか、全く覚えていない。返答の後、担任はすぐにすれ違い消えていった。

2012-05-07 21:23:28
トラスク @Trasque

担任はとても良い人だったし、なぜそんな質問をしたのか今でもよくわからない。今なら「先生といっても人間だ」という事がよくわかる。ましてや小学生40人ひとクラスを受け持つ。常に混乱状態に違いない。だから、その担任の先生を恨むような事はまったくない。むしろ感謝の方が多い。

2012-05-07 21:24:54
トラスク @Trasque

確かその時先生に「いや、友達ですから」とだけ答えたんだったような気がする。その日は、その瞬間からずっと僕は怒っていた。ずっとほんとに怒っていた。あたりちらしていた訳ではないが、彼に向けられた何らかの理不尽に対して、ずっと怒っていた。

2012-05-07 21:26:03
トラスク @Trasque

その時義憤を持てた事は、今の僕にとって少しの自信になっている。間違っていたとは思わない。担任の先生に少し反抗的な目を向けた、最初で最後の行動だったようにも思う。だから、先生には悪い事をしたな、と今では思う。

2012-05-07 21:28:14
トラスク @Trasque

彼をとりまく境遇はとにかく普通ではなかったのだ。それをわかっていれば、クラスメイトや教師達が彼に対してどう接すべきかわからなくなるのも無理はないと、僕は今なら思う。彼はある種、孤児であった。

2012-05-07 21:29:38
トラスク @Trasque

後に通うようになる中学校は、その小学校のすぐ近くにあった。彼はその中学校の目の前にあるマンションに住んでいた。当時は分からなかったが、彼の家の状況は年々と悪化をしていった。

2012-05-07 21:30:47
トラスク @Trasque

あまり詳細な事は避けるが、つまるところ彼は両親から捨てられたのだ。小さい頃記憶のない時代、父親が逃亡した。中学校に入るか入らないかの頃(ここらへんは詳しくきいていない)、母親が姿を消した。彼はマンションの一室に、かなりの間のこされてしまったのだ。

2012-05-07 21:32:19