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Dai Tamesue (為末大) @daijapan
おはようございます。今日は【前向きな善意が起こすトラブル】について
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
僕はよく人はわかり合えないと言うから、そんな事は無いきっと人はわかりあえると主張する人と、対峙する経験が多い。この時の感覚にとても良く似ているのが、人の可能性には限界があると言った時に、そんな事は無い誰にも無限の可能性があるという主張との対峙。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
わかり合えないというのは、別にお互いの事を興味も持たない世界を言っているのではなくて、誰とでもわかりあえるはずだ、わかりあえないとしたら何かがそれを邪魔している、に陥りがちだから。人はわかり合えるはずなのに、どうしてあなたにはそれがわからないんだという奇妙な罵りも受けた事がある。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
人の可能性は無限だと信ずる人は、言ってみれば能力の限界の概念をすっ飛ばしているという事で、この世界観では能力が低い人は皆努力不足という事になる。能力には限界がない→誰にも可能性がある→なのに能力が無い人は努力を怠っている→全ては努力で解決できる、となりがち。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
鬱になった人と話をすると、わかりあえる、やればできる、という世界観を持っている、ないしは持っていたと話す事が多い。この二つの世界観は突き詰めると、もしわかりあえないなら、もしできないなら、それはあなたか誰かの責任であるという、個人に全ての責任を負わせる危険を持っている。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
僕は基本的にはかなり能動的に物事にアプローチする方だから、全ては自分か誰かのせいではないかという世界観で競技が行き詰まった事がある。でも実は世の中には何ともならない事がある。そして何ともならない事を突き詰めて考えても、恨みに陥るか、自分を責めるか、何れにしても落ち着いた未来は無い
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
ああこの人とは合わないな、ああどうもこの才能はないな、ただそうだったというだけの話なのに、真面目な善意の人はこれを受け入れる事に相当な罪の意識を抱く。個人で完結する人は自分を責めるけど、前向きで能動的な人は他人を責める。人を自分の世界観から逃がさない。
Dai Tamesue (為末大) @daijapan
【まとめ】僕はわかり合えるは無く、わかり合いたいだけがあると、無限の可能性は無く、可能性に挑戦だけがあると考えている。そしてそれが人を罪と義務の意識から解放させ、前向きな人生を拓かせるんだと僕は思っている。

コメント

ghoti @ghoti_sousama 2012年5月18日
#朝の散歩 『ひとを“嫌う”ということ』(中島義道)http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2004/03/27.htmlを思い出した。
稲羽 @xatu_178 2012年5月18日
どんな物事にも限界というものがあるし、自分とわかり合えない人っていうのはどうしても存在する、ということを認識するのが大事。自分の限界を意識することによって出来ることと出来ないことの区別がはっきりするもの。また、人によって考え方や価値観などが異なる以上、全ての人と分かり合えるのは無理だし、合わない人と無理して付き合おうとするのでは疲れてしまうだけ。何はともあれ、事の限度をしっかりと受け止めておくこと、それが大事なんだな、と改めて思った。
松尾重信 @shigeiko 2012年5月19日
どんなに頑張っても100メートルを5秒では走れないですよね。