ルソーの演劇否定論は「新エロイーズ」でも展開されているのだけど、要は彼はrepresentationを信用していない哲学者なんだよね。
2009-10-19 21:29:15スタロバンスキ/デリダなんかの場合、そういう表象否定の所作そのものが実際には表象=媒介を呼び寄せてしまう、なんていかにもフランス的な読みをするのだけど、ぼくはもっと単純に表象否定の可能性を追求していいと思うのだな。
2009-10-19 21:30:18表象・媒介否定の哲学は現代思想的にはきわめてNGで、というか現代思想ってすべて表象・媒介について考え続けていると言っていいのだけど。だからこんなぼくの主張はおそらく超バカっぽく聞こえるわけだけど、もはや最近のぼくは誤解を怖れないw。
2009-10-19 21:31:46だってさ、集合知でもSNSでもほかならぬこのTwitterでもなんでもいいけど、この15年ぐらいの情報社会系のパラダイムシフトって、延々と表象=媒介の排除、というかより正確には、「表象=媒介のデータベースによる置き換え」に向かっているのではないかと思うわけです。
2009-10-19 21:33:17それを政治過程に置き換えれば、「フルタイムの代議士=representationの専門家」から、「政策ごとのロングテール知識人と集合知システム」への移動というのが、21世紀の民主主義の方向だと思うんだよね。
2009-10-19 21:35:30ちなみにぼくは「表象文化論」とかいう専攻で修士をもらったわけだけど、フーコーのいう「人間の終わり」って要は表象代理の時代の終焉のことだったと思う。
2009-10-19 21:37:50デリダについてはアンチョコ本で「差延」だかなんだかの輪郭がなんとなく見えたような気がしたんだけど、あれがデータベース論につながってるってのは理解しつつ「地」と「図」の関係とかにも絡むのかなぁ、とか。再帰性(繰り返しゲーム)とかいわれるわけだけど
2009-10-20 16:02:17物理的力(武)の次に経済的な力(金)が来ていまは消費を介して経済と文が接合され、それが内部的には統治のシステムとして受け容れられてるように思うわけだけど、自分のオツム的にはこの辺のメカニズムの説明がしにくい。東さんだと出来るのかな?
2009-10-20 15:59:50