- kotonoha_s
- 42418
- 212
- 6
- 134
さて、電車を降りて市街地散策へ戻ります。
長野大通りなどの都心環状線の内側には駐車場を配し、更にその内側は歩行者優先の市街地に。トラフィックセルと呼ばれる街区・道路構成で、クルマも歩行者も幸せな市街地を作ろうとしています@長野市。写真は環状線から街区への引込み道路。 photozou.jp/photo/show/474…
2012-05-19 11:57:23この都市政策を導入する上で絶対に必要となるのが、先述の都心環状道路です。
長野市でトラフィックセルの整備イメージは、こんな感じ。
都心部を環状道路で囲い、その中の市街地を中央通りと昭和通りで区切って4つの「セル(細胞)」に分け、セル同士の直接的な自動車移動を制約し都心環状道路へ誘導することで、市街地での良好な歩行者空間を確保しようとするものです。
長野市は中央通りをトランジットモール(orセミモール)化し、ここへの自動車乗り入れを特に規制し都心環状道路へ誘導するよう、都市整備や道路標識設置が進められています。
環状線の内側にある街路とセル内駐車場。この駐車場を抜けると、昭和50年代からトランジットモールを目指して整備され続けている「中央通り」が。 photozou.jp/photo/show/474…
2012-05-19 12:03:09各セルには駐車場を整備し、都心環状道路からアクセスさせる形で自動車での来街者の利便を図ります。
各駐車場から歩行者空間(長野の場合は中央通り)へは容易にアクセスできるため、自動車利用での利便性を損ねず中心市街地の歩行者環境を整えられるメリットがあります。
長野と言えば、ココ。二線路通りは、都心環状線・セル内導入路・長野駅が交わる地点と都心軸である中央通りを結ぶ細街路。沿道は様々なショップや飲食店が集まる、回遊の鍵となる街路。 photozou.jp/photo/show/474…
2012-05-19 12:09:39二線路通りは、両端にファッションビルがあったことも、若者を集めた理由。中央通り側の店は無くなりましたが、跡地にはロンドンバスのカフェが進出。その先にはアゲインが。 photozou.jp/photo/show/474…
2012-05-19 12:13:37二線路通りを抜けると、いよいよ中央通り。昔は国道で通過交通がバンバカ入り込んでいましたが、長野大通りの開通で通過交通は激減、実質的にはセミモールの状態に。 photozou.jp/photo/show/474…
2012-05-19 12:20:28中央通りある「アゲイン」は、長崎屋撤退後の活用でチャレンジショップを集めてスタート。あれよあれよで人気を集め、コムサデモードも入居。今でも賑わっています。長崎屋撤退時は市街地衰退の象徴のように言われましたが、単に需要と合わない店だったから photozou.jp/photo/show/474…
2012-05-19 12:34:19長野市の中心市街には、3つのスーパーマーケットがありました。そのうちダイエーと長崎屋は食料品から衣料雑貨までフルラインの、いわゆる「大型スーパー」で、西友は食品主体の小型店でした。しかしダイエーと長崎屋は1990年代後半に相次いで撤退し、都市衰退の象徴として騒がれていました。
しかし長崎屋のビルは若者のチャレンジショップを集める形で再出発したら、その様々なセンスあふれる商品構成で好評を博し、コムサデモードも出店する長野市街のアクセントとなる商業施設に変身。今は若干テナントのグレードは下がっているようですが、それでも長野市街地の核となる施設に、変わりはありません。
ダイエー跡は建物がダイエーに特化し過ぎていて使いにくく転用は難航しましたが、そんな中、長野市は「都心居住を支援するためにもここに食品スーパーの存在は必須」として誘致(組合を設立し運営)、上部階は都市生活を支援するための公共施設として運営することとし、こちらも市街地再生のモデル事業として注目を集める存在に。
中心市街地からの総合スーパーの撤退は、立地場所に求められるサービスと提供しているサービスがずれていただけでした、ということが遠まわしに証明された事例と言えましょう。
さて中央通りを一旦離れ、末広町から犀川方向へ。都心環状道路の西側を構成する県庁線の角には、長野バスターミナルが。広島バスセンター等と同時期に整備されましたが、ここは大失敗。今では車庫同然になっています… photozou.jp/photo/show/474…
2012-05-19 12:51:57