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①ローザ・ルクセンブルグについても、いつかつぶやこうと思っていた。「どんと」、玉城宏志、三原重夫、永井利充の4人で結成されたバンド。1984年、NHKの音楽コンテストに出演し、「在中国的少年」で、その才能を矢野顕子や細野晴臣らに見いだされる。
2012-01-26 01:23:45②私の推測だが、どんとの奇抜なコスチュームやパフォーマンスは、出身大学の京都大学あるいは京都の若者文化の影響も強いと思う。京都大学でロックやフォークなどの音楽といえば、京都大学西部講堂を忘れるわけにはいかない。関西で音楽を志す若いバンドの「聖地」である。
2012-01-26 01:23:31③どんとが活躍していたのとほぼ同時期に、やはり京都大学の学生を中心に結成された「劇団そとばこまち」が、ノンポリで自由なパフォーマンスで人気を博していた。辰巳琢郎や生瀬勝久といったスターを輩出することになる劇団だ。
2012-01-26 01:23:20④この自由で何でもアリな演劇の雰囲気は、古田新太や羽野晶紀(和泉元彌夫人)らを中心とする「劇団☆新感線」など他の劇団にもみられ、関西のサブカルチャーの土台のようになっている。
2012-01-26 01:23:11⑤若者たちの中には、演劇から音楽へ、あるいは音楽から演劇へと活動の場を移すものも多くいただろう。このような音楽と演劇の渾然とした一体感のようなものが、「ローザ的」パフォーマンスの土壌になっているように思う。
2012-01-26 01:22:59⑦「だけどジュリー」という曲は、昔京都に「ジュリー」というあだ名の、伝説のホームレスがいたことに由来する。横浜の「メリーさん」みたいなものだろうか。 http://t.co/SStEXL8r
2012-01-26 01:22:37⑨「おしり」も…。「青筋立てて抱きしめる君に負けずに抱き返す お互い知り尽くしたカラダ 女にゃ分からぬこの気持ち」「父さん母さんごめんなさい 俺には子供ができません」…。http://t.co/Z6MDqXlK
2012-01-26 01:22:16⑩ローザ・ルクセンブルグは、どんとと玉城の間で、「音楽の方向性の違い」が決定的となり、1987年に解散。バンドにはよくある話である。活動期間は短かったが、ローザ・ルクセンブルグは強烈な印象をリスナーに残していった。
2012-01-26 01:22:04⑪どんとはその後、「BO GUMBOS(ボ・ガンボス)」を結成し、1995年まで活動。 1990年に、どんとは、ガールズ・バンド「ZELDA(ゼルダ)」の小嶋さちほ、SANDII&the SUNSETZのメンバーだったケニー井上らと「海の幸」というユニットを結成。
2012-01-26 01:21:49⑫「海の幸」は、沖縄やバリなどアジアンテイストの楽曲を主体とし、今でいうヒーリング・ミュージックに近いものを模索していたように思う。私は、高円寺のライブハウスで「海の幸」を見に行った。最も間近でどんとの姿を見たのは、この時だ。
2012-01-26 01:21:34⑬どんとは、小嶋さちほと夫婦になり、音楽の方向性も、アジア・アフリカなどの民俗音楽を深く掘り下げるものになっていく。SANDIIとの接点も、おそらくこの頃にできたようだ。
2012-01-26 01:21:22⑭そのSANDIIとどんとが共演したのが、1992年に横浜で開催されたワールド・ミュージックの祭典「WOMAD’92」だ。
2012-01-26 01:21:12⑮パパ・ウェンバ(ザイール)、ロマ・イラマ(インドネシア)、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン(パキスタン)ら、個性の強すぎるワールドミュージックの大物たちをまとめあげるSANDIIの手腕を、中村とうようが絶賛していた。
2012-01-26 01:20:57⑰どんと一家は1990年代後半からハワイに移住したが、2000年に、どんとがハワイで永眠。SANDIIがどんとを追悼した「波」はこのアルバムに収録されている。 http://t.co/996MobNW <この話題終わり>
2012-01-26 01:20:30①川辺に一人黙々と、「花の種」を植える男。その花はやがて、汚れた水を浄化していくことだろう。とってもエコロジー。でもその花は、「芥子の花」。 http://t.co/VH73WBV4
2012-01-26 23:33:05②では、この男の行動は「良いこと」なのか「悪いこと」なのか?善悪の判断が、風にそよいで揺らいでいる。「橋」や「川」という「結界」に当たる場所が、その善悪の判断のつかなさを象徴しているようだ
2012-01-26 23:32:28