百合クラスタ(?)、百合を語る -凝縮版-
うん。俺もどっちに対してもそう思います。だから難しいかも知れないがそこでこそ百合を分けるべきで、そこをごっちゃにしちゃうといつまで経っても進まないよなーと思っているんです。
2010-01-10 21:24:23@catfist 選択する側(消費者)のそーゆーのは、考えてもしょうがないかな、と。俺らがそういう意味で自由になんてなれやしないので。「だからこそ」作品があるんじゃないか、というか。
2010-01-10 21:26:31ガーリーフォトに関しては、このYahoo!知恵袋のベストアンサーの人の文章を参考にしたい。 http://chie.mobile.yahoo.co.jp/p/chie/qa/view?qid=1130134731
2010-01-10 21:29:47@aya_h だから、彩さんが「自由」でありたいと願う、で「自由」な百合語りを望む、というのであれば、逆説的に「自由」を拠り所にするべきじゃないんじゃないかなって。「自由」だから百合なんだ、あるいは「自由」だから百合は素晴らしいんだ、っていう態度は、政治的にぼくには見える。
2010-01-10 21:29:48百合のエポックメイキングとしてよく挙げられる吉屋信子の小説や『マリみて』も、そもそもはガーリーフォトと同様な作者らの「子宮的感覚」から作られた私小説だったんだろうと感じる。
2010-01-10 21:33:00@catfist それはありますね。なので最近はあんまり言わないようにしてました。で政治的なものを叩くようにしたんですが、それでも結局って部分はあって、ある程度はどーしょーもないのかなーと。そこでまた、中里式しかないな、とか。つまり商業デビューの方向。
2010-01-10 21:34:09@aya_h うん、だから、性的マイノリティの政治的立場を離れた百合作品の魅力ってなんなのか、ということをこそ語るべきだと思うんですよ。そこで、男の立場から、女の子がいっぱいで男がいないからおk、というのも、まあひとつの語り口ではあって、だから影響力を持ち得ている。
2010-01-10 21:36:28彩さんが言ってる社会的・政治的な立場から自由、というのは社会的な要素・政治的な要素を一切作品に含ませずに創作する、という意味で、もりやんさんがそれは自由と呼んでいいものなのか?と疑問視していると。この場合問題点は社会的・政治的の定義をどこまで広げるかによって話が変わることなんじゃ
2010-01-10 21:37:57ただしガーリーフォトと百合には表象の差があって、その差が両者の社会的待遇の差をもたらした。要は男性にもウケたっていう。それでその表象が一人歩きし始めたのが現在。その一人歩きを認めるか、逆に根っこの部分を完全に捨て切る事が出来るか、という差がおそらく私とaya_h氏の差。
2010-01-10 21:38:40何からどう自由か、というのを具体的に定義してはじめてその自由のメリットというか価値みたいなものが他人に伝わると思うのだけど
2010-01-10 21:42:28で、性的マイノリティの政治的な立場から離れた百合の楽しみ方、というのは結構簡単に表現することができるといえばできるのだけれど、問題はその楽しみには政治的なものとそうでないものが混淆していて、一概に自由不自由問題で片付けれるものではないということ
2010-01-10 21:44:55@kwa_sin そもそもぼくは「自由」の価値に懐疑的なんです。少なくともそれを百合に求めるのはどうよと。イデオロギッシュな作品自体は好きですから。もちろん主張的に合わないものは消費しないという態度で。
2010-01-10 21:44:55すいませんトイレいってました。まずは話の発端からして、八柾さんの言う感じよりは理論値的な話であるということを。それでも具体的に作品を挙げたほうがいいとこもあるとは思いますけど。で、もりやんさんの言うことももっともだと思うのですが、これはkwaさんへの返信にもなりますけど、
2010-01-10 21:45:54政治的な側面からはこう言える:百合にすることで既存の男女恋愛ものを読む/書くときにどうしても意識しがちな型(物語のパターン集)を別のものに取り換えることができる。そのため男女恋愛でカバーできないような恋愛の価値を百合は提供することができる
2010-01-10 21:46:19政治的でないとこう:かわいい女の子が画面にたくさん出ていることで得られる快感は人類にほぼ共通してあり、それはかっこいい男性によるものとはやや別の種類のものである。その快感のうちかわいい女の子から得られる方を凝縮して叩きつけようという発想から百合が生まれた
2010-01-10 21:47:41でまあ、政治的でない楽しみは人類に普遍的なものと言っていいと思うのだけれど、じゃあなんで百合ブームみたいのが普遍的じゃなかったのかというと性革命まではホモフォビアも同様に普遍的だったから
2010-01-10 21:48:28@catfist 私もよくわからないです>自由 イデオロギッシュなことへの拒否感は強くありますが、それは特定のイデオロギーへの奉仕への拒否感であって、自分自身が持つ価値観念(百合はヘテロよりつよい、とかな)への拒否感ではないので
2010-01-10 21:50:07@catfist このやり方が政治的、と言わざるを得ないのは、男女恋愛で得られるような快感も百合は提供するべきであり、そうでない百合は偏狭なヘテロのおもちゃである云々みたいな意見もたびたびあって、そういうのに対するアンチ的な意味も含めているので
2010-01-10 21:52:40